初めて、インナーチャイルドと言われるようなもの、、小さい時の私、を抱きしめたくなった。
その時から、私は、自分の過去を、少し暖かく、そして、もう少し細かく、
見返す事ができるようになったような気がする。
なんとなく冴えない子供時代。。
強烈に不幸なインパクトがあったわけでもないし、愛情がなかったわけでもない。
父母共に、中学、高校の先生、おじいちゃんは警察署長、
公務員一家に一人っ子として生まれ、特に不自由もなく育ってきたんだ。。。と思う。
いや。。そんなことねーだろ。
超絶不自由だったわ!!!!
分かるかな? 贅沢かな? 地味にめっちゃ息苦しかったんだ。
幸せもあった。 確かにあった。
でも、本当はもっと反抗したかったところもたっくさんあった。
フッざけんな馬鹿野郎!!!
本当は、もっと、はちゃめちゃしたかった。 もっとちゃんと反抗やり切りたかった。
でも!!
あの時に、あのルールと良い子の思いやりガッチガチの生真面目家族全員を
敵にまわして反抗期きっちりやりきるって。。。なかなか高度な技だったんだよ。
私にとっては。
っていうか、そんな考えさえも浮かばないくらい、選択肢も思い浮かばなかった。
それを、一つ一つ、少しずつでも解放してきたことを、抜けてきたことを、
私だけは、私に褒めてあげたいと思う。
良い子じゃない私も愛してくれる?
反抗したら愛されない?
何かしてないと、私には価値がない。
もし、外で評判悪くなったとしても、味方になってくれる? 信じてくれる?
ただただ、しょうがないなーーって、優しく微笑んでくれる?
どこかに埋まる反骨精神。
今からだって、自分の中に、そんな思いがあるなら、やらせてあげようって思う。
45歳でも、遅くない。w
目の前の扉を開けてかない事には、次の扉も見えないのだったら。。開ける!!ᕦ(ò_óˇ)ᕤ
だって、、、自然育児。。。そもそも、自然ってなんだ。
ひとりっ子だった私は、気づけば5人の母になった。
自宅出産、自力出産、、、その出産をなぜか選んで、食事や生活習慣、考え方まで大幅に変えた。
必死だった。手探りだった。分からないながらも、やるしかなかった。
その中で、本当に子供を幸せにする。ということは。。。
私なりに考えた。 子供によくないよ。。って言われれば、とにかく、自分が辛くても、そうしてみた。
その毎日の中で、 子供を本当に幸せにするには。。って考えるうちに、
その考えさえも、おこがましいなって思ったんだ。
みんな、誰かに幸せにしてもらわなくったって、
もともと幸せな存在だ。
誰かを幸せにしてあげよう。 その考え自体が、どうにもおこがましく恥ずかしく思えた。
唯一あるなら、
「自分が幸せな人となりなさい。」
私が幸せな人として存在すること。
どう考えても、最後には、そこにしか辿り着かないんだ。私は。
それ以外に、人を幸せにできる事があるのだろうか。
自然育児の自然ってなんなんだろう。
5人の自宅、自力出産、自然育児、と言われるものを実践して、最終的に、私の力は抜けた。
まあ、誤解を覚悟で一言で言ってしまえば、なんでもあり、って自分の体の奥底から聞こえるんだ。
いろんな経験 をさせてあげることは、醍醐味だって。
どんな経験だって、最高の宝物で、誰の、どの経験だって、本当に素晴らしいのだって、
外側の反応はどうであれ(笑)最終的には奥底で、そう思ってる。
特攻服着て、髪の毛染めて、自然育児唱えたり。。もう、昔の私にも、一見喧嘩売ってる行為かもしれない😅
でも、、言わせてもらいますが、、愛情です😮💖 私なりの。激アツな。
私は、何も染めてない黒い髪で、ナチュラルなやさしい色の草木染めの服を着て(いや、大好きよ❓)
というより、全く服なんて気にも止めずに、何もしないのが自然。。
子供のためにこうでなければならない。と、
自分の、そのままの、
今この瞬間の感情や体感に向き合い、周りの子育て理論や社会の状況を、自分なりに取り入れ、自分が自分の生き方の主導権を握るのではなく、
外側にある、ルールや良しとされるだろう考えに、
自分をあてはめて行くことを
必死にやっていた時よりも、(その時も愛おしいけれど)
今の私の方が、なんだか遥かに、安心してるし、楽な気分だ。
子供たちの心配もしない。 怠惰だと言われれば何も言い返せはしないけれど、
私は、たとえ誰にも理解してもらえなくても、胸を張って、これが、私の愛だという。
まずは、私自身へのね。
ああ、言葉にするって、難しいけど、楽しいな。
次は、歌うからな!!!!(?????!!!!!)