ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

世中にある人と栖(すみか)と、又かくのごとし。
・・・・古(いにしへ)見し人は二三十人が中に、わづかに一人二人なり。


朝(あした)に死に 夕(ゆうべ)に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
不知(しらず)、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。

又不知、仮の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。

「方丈記」より引用

”絶えることのない流れ”=不変性
”もとの水ではない”=変化
”よどみに浮かぶうたかた”=「泡」も「生まれるということ」と「消えるということ」


今月に入ってから ずーーっと 「何かが足りない」と思い続けてきた。いや、今もまだ思っていて、
「嗚呼、それは何だろう?」と、考え続けている。 昨日、どういうわけか 何年も前に購入した本を手に取った。
パラパラと見ただけで 読んでない本。 この本に「足りない何か」の答えが隠されている気がしたのです。

「1/f ゆらぎ」

● ある物質量の”観測値”が統計的にみた**巨視的な平均値の近くで変動する現象の定義。

● 従来の自然科学が、すべての自然現象を原因、結果の連鎖として決定論的に扱ってきたのと違って、
その思考プロセスの基礎を ”決定的論的な因果関係”からの「ずれ」においたところにあります。

● ミクロの世界と日常世界というマクロの世界を、私達の感覚で捉えることの出来る ”変化するもの”の性質として捉えていこうという考え方。

一見すると、でたらめに変化しているかに見える 「ゆらぎ」の中にどのようにして規則性を見出していくのかが問題になります。

さて、この物理学からの発想という視点からの考え方が、実は自分が今していること(FXテクニカル分析)の「足りないもの」なんじゃないかと感じるわけです。ここに何かが隠されているのかもしれないと・・・・・



**巨視:対象とする系あるいは現象が、我々の感覚によって捉えられ、また、普通の観測手段によって取り扱われる程度の空間的、時間的な広がりやエネルギーの大きさなどをもつさま。マクロ的。