〜10年経っても気になる、あの日のサービスエリアでの出来事〜

もう10年くらい前のことです。
用事があって、車で中央道を走っていました。


途中、サービスエリアに寄り、トイレに入ったときのことです。

トイレに入った途端――

個室から出てきた、緑色のスーツの男が、
突然こちらに抱きついてきそうになりました。

 

一瞬、何が起きたのかわからず、
反射的に体を避けました。

そのまま私は小便器の方へ行き、用を足しました。

 

そして、何気なく後ろを振り向いた瞬間――
さっきの男が、床に倒れていたのです。

 

頭が一瞬、真っ白になりました。

慌てて用を済ませて近づこうとすると、
近くにいた若い男性が言いました。

 

「脳梗塞とかそういうものかもしれないから、動かさない方がいいと思う」

その言葉で、我に返りました。

 

どうすればいいのか迷いながらも、
「救急車を呼びに行ってきます」と若い男性に伝え、
隣の建物の売店へ行き、事情を説明しました。

 

そして救急車を呼んで、様子を見てもらうようお願いしました。

 

ただ、そのときは時間に余裕がなく、
トイレには戻らず、そのまま車でその場を離れました。

 


 

ここまでが、出来事そのものです。
でも本当の話は、ここからです。

 

それから10年経った今でも、
ふとした瞬間に思い出すのです。

 

「あの時、抱き止めていたらどうなっていたんだろう」
「あの人は、その後どうなったんだろう」

 

頭ではわかっています。

自分は悪いことをしたわけじゃない。


むしろ、その場でできる対応はしたと思う。

 

でも――

せめてもう一度トイレに戻って、
様子を見てから立ち去るべきだったのではないか。

 

そんな思いも、どこかに残っています。

 


 

自分はHSP度が高く、逆エンパスという気質です。

自分のように共感力が高い人ほど、
「事実」ではなく「可能性」を感じてしまうらしいです。

 

・もしかしたら助けられたかもしれない
・違う未来があったかもしれない
・あの人は苦しかったのではないか

 

そんな「もしも」が、ずっと心のどこかに残る。

 

さらに、これは完全に自分の勝手に湧いてくる想像なのですが――

あの人は、母一人子一人で頑張って働いていて、
突然の出来事に、お母さんが深く悲しんでいる…

そんな光景まで浮かんでしまうのです。

 

自分のようなHSP気質の人は、
起きた出来事そのものよりも、

そこに含まれている「感情」や「余韻」を
長く抱え続ける傾向があるのだと思います。

 

それは優しさというより、
本人にとっては正直しんどさでもある。

 

実際、月に一度くらいは思い出していました。

考えても仕方がない。
もうどうしようもないことなのに。

 

 

 


 

でも、最近こう思うようになりました。

あの時の自分は、

 

・怖さを感じながらも逃げなかった
・状況を確認した
・周囲と判断を共有した
・そして救急につないだ

 

完璧ではないかもしれないけれど、
その瞬間の自分にできる、

最善に近い行動をしていたのだと思います。

 

 

それでもなお、

「あの人は生きているのだろうか」

そう思ってしまう自分がいる。

 

でもそれは、自分の気質のせいなのか、

「誰かの人生に無関心でいられない」
ということなのかもしれません。

 


 

自分のような共感力が高い人間は、
過去を手放すのが苦手なようです。

 

でも同時に、その記憶は、

「次に誰かと出会ったときの行動」を
少しだけ変えていく。

 

もし、同じような場面にもう一度出会ったとしたら。

今の自分なら、
もう少し違う動きができるかもしれない。

 

そう思うことでしか、
あの時の自分に感じた“罪のような感覚”に
報いることはできないのかもしれません。

 

そう思えるなら、

あの出来事は、ただの後悔ではなく、
自分の中に残る「意味のある記憶」

なのだと思うようにします。

 

 

そして今日も、ふと思うのです。

あの人が、どこかで元気に生きていてくれたらいいな、と。

 

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