認知症の母を介護していた頃。

夜中に何度か、外へ出て行こうとした。

冬でも関係ない。

 

母は90歳を過ぎていたが、
自分が40代なのか20代なのか、
いちばん元気だった頃に戻っていたように思う。

 

すると、ここは自分の家ではなく
「よその家」になってしまう。
だから帰ろうとする。
それは理解できるのだが…。

 

私は玄関でとおせんぼをした。

すると、二の腕にガブリと噛みつかれた。

 

そういうことが二、三回あったと思う。

本気で痛かった。

 

でも不思議と、怒りはあまり湧かなかった。

ああ、まだ元気だな、と思った。

 


 

そういえば最近思い出した。

小学校三年くらいの頃、
近くの山岳博物館の猿に、同じあたりを噛まれたことがある。

 

檻のそばに寄りすぎたら、
檻越しにガブリとやられた。

 

びっくりして動けず、そのまま固まっていた。
だから血も出ず、肉も削げず、
歯形がついただけで済んだ。

 

学習しない私は、別の時にもう一度やられている。

その後、檻の周りには柵ができた。

 

 

どうやら私は、そこを噛まれやすいらしい 。

ちなみに母は猿年だった。

 

そして92歳で亡くなるまで入れ歯なし。

亡くなる二週間ほど前まで、
大好きな煎餅をポリポリ食べていた。

 

あの歯で、私は噛まれた。

思い出すと、少し可笑しい。

 


 

昔のドラマ、木枯し紋次郎のテーマ曲
『誰かが風の中で』に

「痛みは生きている印だ」

という歌詞がある。

 

鬱で苦しかった頃、
友人とカラオケで歌った。

 

その歌詞に、鬱の苦しみにも意味があるのだと救われた。

 

一緒に歌ってくれた友人には感謝している。

 

 


 

痛いということは、
まだ感覚があるということだ。

 

母やお猿さんだけでなく、人生は、ときどき噛みついてくる。

 

でもそれは、
まだ終わっていないという合図なのかもしれない。

 

二の腕の跡は残っていない。

でも記憶は、ちゃんと残っている。

 

心の噛み跡を心の子豚さんは許してくれるだろうか・・・? ٩( ᐛ )و


 

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