▪️新年、今年もよろしくお願いします。


一昨年秋、父を見送り、昨年は母と二人過ごした年末年始。

今年は母を見送って迎える初めての正月。

 

元旦の日中、一人暮らしの友人と二人でお雑煮を食べてきました。
一応母の喪に服してる身でもあり、派手にお祝いする気分ではなかったけれど、
お互い「ひとり」同士、ゆっくりとした時間を過ごしました。

 

帰り道、空を見上げながら思ったのは――
やっぱり日本の正月は「太陽」とつながっている、そんな気がするということ。

 


▪️初日の出・ご来光という感覚

元旦といえば、やっぱり初日の出。
暗い水平線や山の稜線から、ゆっくりと太陽が上ってくる。

 

その光を「ご来光」と呼び、
自然と手を合わせてしまう、この感覚。

宗教というより、

  • 生かされていることへの感謝

  • 今日をまっすぐ生きようという誓い

に近いのだと思います。

 

世界中のどこにでも太陽は昇ります。
それでもそれを**「ご来光」と呼んで迎える国に生まれた**。
私はそれを、少し誇らしく感じています。

 

 


▪️日の丸は、ただのデザインじゃない

私は、日の丸を見るたびに思います。

これは、単なる“旗のマーク”ではない。

中央の円は太陽。
日本は日の本(ひのもと)=太陽の昇る場所と呼ばれてきました。

 

私にとって日の丸は、政治の象徴というより、

「お天道様が見ている」という感覚の象徴

です。

誰も見ていなくてもズルをしない。
ごまかさない。
見られているのは、他人の目より自分の良心。

そういう文化の土台が、確かにこの国にはあると思うのです。

 


▪️治安がよく、列に並び、落とし物が戻る理由

  • 災害があっても暴動が起きにくい

  • 列に並んで順番を待つ

  • サッカー場でごみを拾って帰る

  • 落とした財布が戻ってくる

これを「民度が高い」で終わらせたくありません。

その背景には、

お天道様がいつも見ている
だから胸を張っていたい

という感覚が、長い時間をかけて育ってきたからだと思います。

 

 


▪️スタジアムで振られる日の丸

今年はサッカーW杯があります。W杯では、毎回のように日本の

  • フェアプレー

  • 観客のマナー

が讃えられます。

 

そのスタジアムで、高く掲げられた日の丸が揺れる光景。

私はあれを見るたびに思います。

あの様子は「太陽が空から見ている絵」そのものだ、と。

日本の国旗には、
「太陽の国の旗」という意味がはっきり宿っている。

 

そしてこの国には、
旗にも魂が宿るという感覚がある。
八百万の神を信じてきた国だからこそ。

 

以前どこの国かわかりませんが、日の丸のデザインを売ってくれという国があったと聞きました。

いやこういう文化の象徴ですから、まさに日本国にしか合わないデザインでもありますよね。

 

 


▪️日の丸にバッテンをつける表現を見たとき

昨年、選挙の街頭演説などで日の丸にバッテンをつけた絵を目にしたことがあります。

きっと本人たちは、

  • 単なる政治的主張

  • デザインとしての否定

ぐらいの感覚なのかもしれません。

しかし私には、それ以上の意味に見えます。

それは「お天道様が見ている」という文化的感覚を
否定してしまうことにもつながっているのではないか。

そこまで深く考えていないのだろうとも思います。


けれど、それでも私は強く感じてしまうのです。

日の丸を否定されるのは、治安の良さや、正直な日本人の姿まで

否定されてるように感じてしまいます。

 


▪️今年を迎えて

太陽の国の旗を掲げて生きる。
ご来光に静かに手を合わせて一年を始める。

それは、こういう問いかけを自分に向けることなのだと思います。

「胸を張って生きているか?」

嘘をつかず
ごまかさず
誰も見ていないところでこそ正直でいたい

完全にはできなくても、
せめてそこに向かって歩いていきたい。

 

そんなふうに思う元旦です。

今年もどうぞよろしくお願いします。
お天道様が、静かに見守っていますように。

 

心が上を向いて伸びをしてるのは、お天道様を浴びたから? ٩( ᐛ )و