アートの見方(2)アートのサイズの“なぜ”を考える。その1

 

 私たちがアートの実物を見る時

「思ったよりも大きい」

あるいは

「思ったよりも小さい」

と思うことがあります。

 

 私たちがアートに触れるのは、多くが画集であったり専門書であったり、モニターの画面のなかであったりします。一定サイズの中の画面の中にリサイズされたアート作品を見ています。それらは当然「原寸大」でありません。

 

 アート(以下、ここでは主に絵画作品を扱うこととします)の大きさを規定するものは、どこに飾られることを想定してするか、です。宮廷の大広間を飾ろうとすれば大きくなり、個人の私邸の私室を飾ろうとすれば小さくなります。

 

 おおまかに言えば

 <大きなサイズ=公的>←→<小さなサイズ=私的>と言えます。

 

 大きなサイズのうち、等身大以上のものは、記念碑的な性格も帯びます。

 

 代表例はダヴィッドの「ナポレオン1世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠」でしよう。



この絵は幅9.79m高さ6.21m(ウィキペディアによる)。制作当時、ヴェルサイユ宮殿の「戴冠の間」に展示されていたそうです。ナポレオン本人から依頼を受けて描いたというまさに記念碑的な作品と言えます。

 

 異なる絵もあります。ギュスターブ・クールベの「オルナンの埋葬」は、幅6.6m高さ3.1mとナポレオンに比べると小ぶりですが、それでも大画面です。



テレビで言うと300インチぐらい。この大画面で描かれるのが、個人的な葬式というテーマ。それは物議を醸すでしょう。この絵画がA1サイズぐらいだったら問題にならなかったはずです。サイズには、それ自体に意味があります。


 先日Bunkamuraザ・ミュージアムで行われていた「超写実絵画の襲来展」には、野田弘志さんによる等身大の絵画が展示されていました。ただ人の姿を写実的に描いた作品ですが、タイトルの「崇高なるもの」に表されるように、記念碑というより祈念碑的な作品でした。人の姿には、そのものの中に、人を感情移入される何かがあるのです。

 

 アートを見る時、その描かれれたものだけでなく、その大きさ(あるいは小ささ)から、その魅力を考えることができます。

 

 ところで、この公的私的の図式に当てはまらないアートもあります。これについては、次の項で述べることとします。


200502