アートの見方を考える(序)
このブログの目的は、アートと人々のつながりを作ることです。展覧会や映画のご紹介をしてきたのも、「この展覧会に行ってみようかな」「この映画を見に行こう」そういうきっかけになればと思って書いてきました。
しかし今新型コロナのために美術館・映画館が休業・休館しているため、新作のご案内ができません。そこで、改めて、私が思うアートとの接点づくりについて書きたいと思います。
今回は本論に入る前に、改めて本ブログで扱う「アートとは」についてです。
国語辞典で「アート」を検索すると、「美術・芸術」という身も蓋もない対訳が表示されます。
さらに元の「art」を手元の英和辞典で引くと、もう少し幅広い説明が書いてあります。
⒈芸術(美術のほかに音楽・詩歌・劇・ぶとうなども含む)・美術(絵画・彫刻・建築など)
⒉集合的に芸術作品、美術作品(趣味で描いた絵画や子供の作品についても用いる)、(新聞、雑誌などの)さし絵、カット、写真
⒊技術。こつ、要領、手腕、わざ、技巧
⒋人工、人為(反対語nature)
⒌術策、狡猾さ
⒍(自然科学に対して)人文科学
⒎学問
(ジーニアス英和辞典より抜粋)
このうち私が着目したいのは4の人工・人為です。artには「人の手になるもの」という意味合いがあるのです。絵画や映画、さし絵まで、artには幅広い領域が含まれていますが、いずれも人の手によるものです。
このようなことから、このブログではアート(art)を「人が何かを表したいと思った時、その表わされたものすべてがアートである」と考えます。
絵画や彫刻などはもちろん、例えば料理も、料理を作った人が料理を通して何かを表したいと思ってつくるのであれば、それはアートになりえます。そこには出来たものの如何、またその質は問いません。
このように考えると、手法論というよりも、アートを通して、人は何を表したかったのだろうか。それを考えることがアートに触れる一つの道筋であることがわかります。
これからしばらくの間、この「何を表したかったのか」を様々な角度からアプローチしてみたいと思います。
200427