新年度が始まって早々に悲しいお知らせをしなければなりません。NPOアーツカウンシル高松の映画プロジェクト担当ディレクターとして長く活躍してくださった理事の石田孝文さんが8月1日夜亡くなりました。享年74歳でした。7月29日の新年度総会には療養中にもかかわらず、杖をついて出席し、紺色ベストとポロシャツ姿で皆さんと旧交を温める姿が見られました。体調は相当悪かったようですが、いつも通りの誠実な笑顔でみんなを安心させてくれました。心からご冥福をお祈りいたします。

 お葬式は本人と家族の希望もあって、8月4日に自宅近くで家族葬が営まれました。僭越ながらACT理事は特にお願いをして見送りの列に並ばせていただきました。本当に近親者だけの厳かで親しみ溢れる静かな葬儀でした。お盆を前に遅まきながらご報告させていただきます。

 個人的には城内中学の同期生であり、ACT創設前から映画館支配人と文化部記者として浅からぬお付き合いをさせて頂きました。その誠実な人柄をたのんで香川県芸術祭の改革にも参加して頂き、映画界での石田さんのネットワークを生かしたプログラムを何度も実現して頂きました。

 1988年香川芸術フェスティバル創設のおりには、戦後日本で東京に次いで2度目となった無声映画の名作「戦艦ポチョムキン」のノーカット、オーケストラ演奏付き上映会を実現しました。東京でも100人程度の入場者というマニアックでレア中レアの上映会でしたから、もちろん県民ホール上映会は当初から大赤字の見通しでした。それでも彼は臆することなく、日本中からオケ譜面をかき集めて上映会を実現しました。2千人の大ホールにまばらな観客という座席に隣り合って座って声をかけた時の彼の笑顔を今も覚えています。彼がその大赤字で運営委員会を悩ませることは全くありませんでした。見事な、信念と誠意の人でした。

 その彼の情熱が全国に知れ渡り、その後の活動が土台となって現在の「さぬき映画祭」が誕生したことを知らない人があまりに多いのは本当に残念でなりません。井戸を掘った人を忘れてはいけません。その後、ワーナー映画に転じ、さらにその退職後にUターンした石田さんにACTの映画部門ディレクターをお願いしました。もはや戦艦ポチョムキンを掛けたいとは言いませんでしたが、映画への情熱は少しも冷めることなく、例の穏やかな笑顔で理事職を全うしてくれました。心からのお礼を言います。

 香川の映画文化とACTに関わる多くの皆さんが、何かの折に石田さんの笑顔を思い出してくださることを心から願っています。

(ACT理事長明石安哲)2023年8月14日