産廃の島として全国に名前を知られてしまった豊島が、アートの島としてニューヨークやパリからの注目を集めるようになったのは、瀬戸内国際芸術祭のおかげだ。プリツカー賞受賞の建築家西沢立衛さんが設計した豊島美術館は環境重視の美術館ランキングで日本一にも選ばれ、海外からの訪問者が絶えることがないそうだ。高松のイサム・ノグチ庭園美術館と丸亀の猪熊弦一郎現代美術館の3つを合わせてアート香川の面目を施す聖地となっている。それもこれも島民に塗炭の苦しみを味わわせた産廃事件がきっかけだったのだから、どんな不幸の底に沈んでも諦めてはいけないという、お為ごかしに聞こえる教訓の真実味を思わざるを得ない。そこまで頑張った島民は本当にエライと思う。

心の島(1997/08/04初出)

 写真集をめくりながら作者の小林恵さんに電話をかけたくなった。三年前の作品について今ごろ尋ねるのは間の抜けた話だが、もう一度声を聞いてみたかった。気負いのない人だ▲小林さんが故郷をテーマに撮影を始めたのは六年前。テレビの特集番組で初めて自分の故郷がごみの島と呼ばれていることを知り、船に乗った。二十数年ぶりの帰郷。島は産廃問題で揺れていた▲写真集「心の島」(鯨吼社・東京)には、その後の二年間に撮った写真の中から五十六枚が収められた。「美しい島を返せ」という住民の願いと、その運動の経過を考えると衝撃的な告発写真を想像するが、少し違う▲作品集は島から瀬戸内海を望む風景に始まり、秋祭りの笑顔で終わる。そのうち産廃を扱ったのはわずか三枚。出版に際して産廃の理不尽さをテーマにという意見と島の美しさを強調すべきという正反対の意見があった▲迷いはしたが、結局、島の各地で撮った人々の暮らしぶりを記録した作品と産廃の写真を併せた。五十三対三。それは小林さんにとって島の現実を「縮尺通り」に写し取る作業だったようだ▲かつて豊島は乳児院・神愛館に代表される通り、福祉の島、愛の島と呼ばれた。ごみの島と呼ばれる今も、島がごみで埋まったわけではない。しかしわずかひとつの岬の汚染で、島の印象から住民の暮らしまでが一変した▲そんな現代の恐怖を正確に伝えるには告発よりも、むしろ穏やかな視線の方がまさる場合がある。詩人の灰谷健次郎さんは序文で「彼は、怒りを悲しみを画面に塗りたくるようなことはしなかった。その心を深く考えてみなければ」と書いた▲小林さんの島通いは続く。産廃がなくなるまで、心の島に戻るまで撮り続けるのだろう。