1990年代後半のマスコミでは学級崩壊論が賑やかだったが、最近はとんと聞かなくなった。学級ではなく、先生や社会の方が崩壊しかけていることにみんなが気づいたからだろうか。

 

先生の崩壊(1999/07/31初出)

 東京では小学校の約二割のクラスに学級崩壊の兆しがあるという。県内での報告例はまだ少ないが、全国では学級崩壊を悩んで不登校になった教師まで出始めている。子供も先生も大丈夫なのだろうか▲授業が始まってもおしゃべりをやめず、教室の中を歩き回り、注意すると反抗する|というのが典型的な学級崩壊の症状だという。教師たちは親の家庭教育の責任を言い、社会全体の公徳心の低下を指摘する人もいる▲そんな話をしていたら、崩壊の兆しは教師の中にもあるという証言に出合った。「子供も親もひどいのかもしれませんが、教師にも相当、困った人がいます」。他人の話を聞かない先生、礼儀知らずはウンザリするほどいるそうだ▲県内でも教師のための研修講座がたくさん開かれる。そこに招かれる講師の一人は「私の話がつまらないのでしょう。しかし講演前からほおづえをついたままだったり、始まっても私語をやめないのは理解しかねる」という▲「何とか聞いてもらおうと努力はしますが、最初から寝てる人はどうしようもない。まるで学級崩壊」と苦笑する。理由を尋ねたら、きっと「話がつまらない」「疲れていた」という答えが返ってくるのだろう▲同じ現象は中学でも高校でも大学でも起きている。ある私立大学が実施した「私語」についての調査によれば、「授業非関連型私語」は年々ひどく、原因には「学生の自覚のなさ」と同時に「授業がつまらない」という教員側の要因も指摘されている▲聞きたくないなら来るな、と教授は思い、聞いてほしけりゃマジメにやれ、と学生は思っている。「家庭教育がナットラン」と嘆いてみせる国会議員や県会議員も本会議での居眠り、私語は当たり前だから、もう言うべき言葉がない。崩壊は学校だけのことではない。