山本忠司さんを失った香川はその翌年にまたも偉大な人材を失った。平井城一さん。名前の通りに高松城下で随一の清廉の士。優秀さと真面目さでこれ以上の人に出会ったことがない。こんなに本気で知事になることを固辞し、こんなに本気で知事を勤め上げた人を他に知らない。平井城一。香川県民はこの名を忘れてはいけない。

 

城下一の士大夫(1999/07/30初出)

 まさか、これほど早くその人の死を耳にすることになるとは思わなかった。現役を引退してまだ一年足らず。至誠一貫を口にする人はいくらでもいるが、至誠一貫をまっとうできた人はめったにいない▲平井城一前県知事が亡くなった。勇退の時にインタビューを申し込んだら、「落ち着いてから」と丁寧に断られた。一年過ぎたら、ダメを承知で再び申し込むつもりだったが、その前に人生最後のページを閉じてしまった▲尋ねたいことがたくさんあった。しかし記事にはならなかったと思う。言い訳も泣き言も嫌いだったし、公私の別の厳しい人だったし、完璧主義だったから、「やった仕事が私のすべて」と答えるばかりだったに違いない▲それでも尋ねようと決めていた。大学を中退して故郷に戻った思い、県庁を志望した理由、官僚とは何か、知事とは何か、その理想の姿とは、その喜びとその悲しみとは何か。豊島産廃事件のことも尋ねることになっただろう▲平井さんはどんな思いで五十二年の県庁人生を過ごしたのか、知事としての十二年間を支えた荻野清士前副知事の言葉に答えのありかを感じた。平井さんは公務員の心構えとして「先憂後楽」を説いていたという。それは士大夫の心構えだ▲士大夫は日本では武士などを意味したが、中国では官僚の意味もある。北宋の詩人、范仲淹は「士たるものは人々が騒ぎ立てる前に心配すべきことを心配し、人々が楽しんだ後に初めて楽しむべきだ」(岳陽楼記)と説いた▲平井さんはそこに官僚の理想像を見ていた。「役人はゴルフなんかしたらイカン」とも言った。厳しい平井県政批判を続けたこのコラムをいつも自分で切り抜いてスクラップした人だ。故郷に生き、故郷で死ぬ喜びを知る人、その名前の通り、城下第一の士大夫だった。