あの時揺れていた沖縄は今もまだ揺れ続けている。何かのたびにその複雑な背景が人々を悩ませている。国際政治の厳しい現実の中で、沖縄も日本も自らの進路自分で決められない。温かい眼差しが必要だ。
揺れるオキナワ(1999/07/03初出)
「私には分かりません。どうすればいいのか…。基地も困りますが、ただ返されても困ります」。那覇空港から乗せてもらったタクシー運転手、上地さんはもう六十七歳だと言った。沖縄は悩んでいるという▲沖縄は今、サミットへの期待で沸いている。しかしもう一方で米軍普天間飛行場の移転問題で県内移転の決断を迫られ悩んでもいる。そんな沖縄の米軍基地を三日間にわたって取材した。米側から異例の呼び掛けだった▲普天間飛行場、嘉手納基地、キャンプフォスター、トリイ通信所、ホワイトビーチ基地ほか主要な軍事施設をほとんど見せてもらった。多くの基地で司令官自らが詳細に解説し、質問に答えた。これも異例のことらしい▲異例づくめの対応は米国の沖縄問題にかける意気込みを表しているようだ。いや、苛立ちと呼ぶ方が正確かもしれない。「オキナワは太平洋のキーストーン(要石)。日本の安全にとっての重要性がなぜ分からないのか」▲司令官たちはみんな確固たる口調でその戦略的意味を説明した。ソ連崩壊後の世界でただ一つの超大国として、「世界の警察官」を自認するその自信にはいささか圧倒された。米国人ならきっとうなずきっ放しだろう▲司令官たちは基地の経済効果も強調した。たとえば米軍約千世帯が年間千三百六十万の家賃を払い、三千人を超える日本人を雇い、八千七百万の工事を発注し、すべて合わせた経済効果は年間千五百億円。これもその通りだろう▲今、沖縄はサミットに続き、経済振興21世紀プランほか、高速道路の三割値下げなど次々に打ち出される支援策で揺さぶられている。「基地はコリゴリ」。それが口に出せなくなる悔しさを言う人もいた。「たくさんの人に沖縄をしっかり伝えて下さい」。上地さんの言葉が頭から離れない。