香港にまつわる99年前の約束は果たされたが、その時に交わされた一国2制度の約束は24年で反故にされた。リトマス試験紙は真っ赤だった。総設計士と呼ばれた鄧小平さんがこの事態を想定していたかどうか定かではないが、習近平さんたち現指導部の思惑はどうも大中華帝国の実現を急いでいるように見えて仕方がない。あの時は今後50年は香港の自由を守ると明言した。しかし「我々は急がない」とした毛沢東の言葉を彼の孫世代はやすやすと裏切り、東洋の真珠はもはや圧政と屈辱の都と化した。もう後戻りは無理だろう。約束を守る人々の世代は終わった。実験は中止された。

 

鄧小平の実験(1997/07/01初出)

 変転する世界史の中で、九十九年前の約束が果たされる光景に出会うのは幸運だろう。きょう午前零時、英国の植民地香港が中国に返還された。故鄧小平主席の壮大な実験の始まりだ▲かつて「東洋の真珠」と称された香港は今、歴史の「リトマス試験紙」と呼ばれている。社会主義の国が自由主義の地域を抱え込む一国二制度の実験。自由主義経済の寵児だった香港の将来を不安視する声は少なくない▲戦後の日本人にはウィリアム・ホールデンふんする新聞記者と中英混血の美しい女医のロマンスを描いた「慕情」の舞台で、百万ドルの夜景の観光地で、買い物とグルメツアーの名物コースだが、多くの中国人には違っていた▲香港が中国のものであって、中国のものでなくなったのは一八四二年の南京条約からだから数えれば百五十五年にもなる。条約を結んだ清国が倒れ、多くの戦乱を経て中華人民共和国が成立してからでも四十八年になる▲その間の中国にとって香港はアヘン戦争に代表される国辱の地であり、社会主義経済をひずませる、いわば「獅子身中の虫」との見方も強かった。それを大転換させたのは中国の総設計師と呼ばれた鄧小平氏だった▲その妥協策を当時のサッチャー英首相は「天才的」と持ち上げたが、東洋学園大学の朱建栄教授によれば、それは毛沢東時代からの方針という。教授は「われわれは急がない」という毛主席の言葉を紹介し、「中国人の本当の主義は実利主義」と言った▲中国は今後五十年間、香港の制度を維持するとも表明した。驚くべき忍耐強さ。実験の結果はまだ先だが、アジアの時代が幕を開けたことだけは間違いない。返還前夜のビクトリア湾は中英両国の打ち上げ花火で青にも赤にも黄にも染まった。