母は今年4月に数え98歳で亡くなった。最後は入退院を繰り返し、コロナで満足に会えなかった。次に男で生まれて来たら、すでに男女の形勢が逆転してしまって、それはないでしょ、とびっくりする時代かもしれないよ。大丈夫かな、お母さん。

 

働く母さん(1997/06/21初出)

 母を思い出したのは、昨日、高松市内で開かれた「男女雇用機会均等推進かがわフォーラム」の最中だった。働く女性の環境を改善し、男も女も生き生き働ける社会を模索する討論▲均等法の改正直後ということもあって会場は満員。女性の管理職と専門職、企業代表二人の計四人が現状と問題点を報告した。慶応大学名誉教授で21世紀職業財団会長の人見康子さんも講演した▲人見さんは、学者らしく産業革命から現代までを見渡し、男女の社会的役割の変化を歴史的に説明した。人の欲望が経済や戦争や技術革新とからみ合い、男と女の暮らしや考え方をどれほど変化させたかを浮かび上がらせた▲母を思い出したのはその時だ。母は働く女だった。記憶にある彼女はいつも働いていた。小さな店を父と二人で切り回していた。炊事、洗濯、掃除、子育て、店番、仕入れから交渉ごとまで、父と一緒に何でもこなした▲もちろん二人の子供も宿題より手伝い優先で仕事を仕込まれる時代だった。世間はみんなそんな風だった。休む間もない日々だったが、父によれば、彼女は一度もシンドイとは言わなかったという▲そんな彼女だったが、子供の前では時折、愚痴ともつかぬつぶやきをもらした。「今度、生まれる時はぜったい男」。確かに彼女はそう言った。子供心にちょっと不思議で、ちょっとさみしい気がしないでもなかった▲人見さんの講演は、母の言葉がどんな歴史と背景から生まれたかを理解させてくれた。女性の社会進出の結果、時代は少子化に傾いた。安心して子供を産み、働ける社会を作らなければ二十一世紀の日本は担い手を失う、と人見さんは心配した▲あれから半世紀、母はまだ働いている。もはや老害だが応援してないわけではない。