心が貧しいのかもしれないが、70年の人生の中で心から尊敬できる人はそんなに多くない。植松さんは戦前戦後の讃岐の政財界をひょうひょうと生きぬいて百歳で亡くなった。ある時はうどんの伝道師となり、ある時は命がけで故郷を守る戦士だった。いつかあんな風にと思わぬでもなかったが、あまりに遠かった。次の世代の定良さんはいるのかなあ。いてほしいなあ。うどん、美味しかったなあ。

 

讃岐の昼下がり(1997/06/19初出)

 メバルの煮付け、チシャとジャコの和え物、煮物はナスとソラマメとワラビ。主役はもちろん手ずから打ったざるうどん。三木町の植松定良さんから昼食に招かれた▲人をもてなすのは難しい。力が入りすぎても押し付けがましくなる。飾らず、気取らず、それでいて心が届くのがいい。植松さんは庭に面した和室に、朝摘みのショウブを生けて迎えてくれた▲県議を五期務めて十年前に引退した植松さんは現職のころから有名なうどん好き。食べるばかりでなく自分でも打つ。見よう見まねで打った麺をほめられたのがきっかけで生来の凝り性に火が付いた。気付いたら道具を丸ごとそろえていた▲付け合わせにも工夫を重ねているうちに独自のもてなし方が生まれ、それを「うどん会席」と名付けたのは随筆家の故山田竹系さんだという。この三十年間に打って招いた人はおよそ千五百人。この日が二百九十八回目▲百八十回目から用意したうどん芳名録には友人、知人のほか県内外の著名人の名も見える。金子正則元知事も前川忠夫前知事もうどん人脈に連なった。保革対決で火花を散らした二人だが、うどん好きでは共通していた▲そんな話を聞きながら英子夫人に勧められて、三回もお代わりをした。「今日は塩加減が強すぎて打ち切れんかったんで息子に代わってもらった」とまだ前掛け姿の良三さんを紹介してくれた。麺棒は渡しても秘伝の垂れはまだ教えないそうだ▲植松さんは八十八歳。「腰が悪くて最近はめったに打てん」と話すそばで戯れるひ孫の喜久子ちゃんは五歳。四世代のうどん芳名録も期待できる。もてなしには心のゆとりが大切。伝えたい讃岐の昼下がり。