白人運転手からの威迫に対して決して席を譲らなかったパークスさんの抵抗をささいなことと思う人もいるかもしれないが、もし自分がその立場で同じ行動ができるかと問われて、「できる」と答えられる日本人は一体どのくらいいるだろう。会社や上司の言いなりになって社会正義を守り通せなかった友人をたくさん知っている。危険な原発や構造汚職や忖度不正や欠陥製品や環境破壊を放置し続けて来た無数の日本人はほとんどの場合、普通の、優しい、いい人、だった。席を譲らないと決心したとき、彼女は死さえ覚悟していたに違いない。

 

パークス夫人の座席(1999/06/17初出)

 南アフリカのネルソン・マンデラ大統領が世界の賞賛を浴びる中で政界を引退した。同じころ、米議会は一人の老婦人に「議会金メダル」を贈った。彼女はバスの座席を譲らなかったことで国を変えた▲悪名高いアパルトヘイト(人種隔離政策)を終わらせ、南アに人種平等の社会を誕生させたマンデラ氏の功績は世界史に特筆されるものだろう。死の脅迫にも、二十七年の獄中生活にも彼は耐え抜き、自由と平等を実現した▲その並外れた勇気と気高い信念に支えられた激しい闘争の軌跡は普通の人には、とても真似のできるものではない。それにくらべればパークス夫人の行動はほんのささいなことだったとも思える。しかし彼女も国を変えた▲一九五五年十二月、夫人はアラバマの州都モンゴメリーで満員のバスに乗っていた。当時の米南部は何もかも白人優先。そこに何人かの白人が乗り込んできた。運転手は当然のように夫人ら四人の黒人に席を譲れと命令した▲三人は従った。しかし夫人は譲らなかった。「同じ料金を払えば、私はどの席にも座る権利がある」と主張した。夫人は市条例によって逮捕された。ニュースにもならないような小さな事件だった。しかしそれが米国の公民権運動に火を付けた▲数日後、彼女の逮捕に抗議して、数千人の黒人がバスをボイコットした。後にノーベル平和賞を受けたマーチン・ルーサー・キング牧師はこの運動の中で成長し、やがて人種隔離バス違憲の最高裁判決を勝ち取ることになる▲「私には夢がある。いつの日にか奴隷の子孫とその主人の子孫が同じテーブルに…」という牧師の伝説的演説もここから生まれた。クリントン大統領は八十六歳になった彼女を「米国を建国時の夢に引き戻してくれた」とたたえた。パークス夫人とマンデラ氏。勇気の人。