津島さんの言葉、「あなたたちエライわねぇ。何かを感じたら、感じた人がやらなきゃね」は今も5月の風の中でキラキラと輝いている。

 

5月の少女たち(1997/05/27初出)

 二人の少女を連れてきたのは五月の風。マイクとビデオカメラを手にインタビューを申し込んできた。高松市中央通りのクスノキ並木をテーマに学校放送用の番組を作るという▲やって来たのは高松南高放送部の三年生石川みゆきさんと竹井薫さん。二十一日付本欄をヒントに八分間の番組を企画している。緑豊かな並木の大通り。それを生み、育て、守った人々を訪ねて、街を見つめ直したいという▲並木はずいぶん多くの人々に愛されている。彼女たちのほかにも手紙や電話の反響が届いた。その中に津島■子さんのはがきがあった。戦災復興計画の中、当時としては破格の大通りを構想した故鈴木義伸市長の娘さん▲少女たちは津島さんにも会うことになった。思わぬ展開だが、それがドキュメンタリー。半世紀前に描かれた大きな夢をたどる旅。見逃す手はない。海沿いの別荘のようなお宅の居間でカメラをセットする少女も緊張気味だ▲「父が家族に熱っぽく語っていたのを今も覚えています。片側四車線の広大な道路。自分で映画を作るほどの映画好きで、特にフランス映画が大好きでしたからパリの大通りが頭にあったのでしょうか」。鈴木市長は公職追放後まもなく亡くなったが、構想は受け継がれた▲並木にクスノキを提案した人もおぼろげに分かった。しかし少女のドキュメンタリーは英雄探しの旅ではない。大通りと並木のその後にはたくさんのヒーローがいた。交通か景観かの十年論争を頑張り抜き、豊かな緑を守った市民たちがいた▲「あなたたちエライわねぇ。何かを感じたら、感じた人がやらなきゃね」。津島さんの言葉に少女が輝く。五月の風と光にきらめく若葉。少女には分かっている。街をつくる主役がだれか分かっている。