シナトラとか言っても今の若い人たちには何の感懐も湧かないに違いない。ジャカルタの暴動は30年も続いたスハルト独裁政権に対する不満が爆発したものだった。かつて救国の英雄だったとしてもそれがいつまでも善政につながるわけではない。時代は回る。同じ歌を同じ声で歌っても喝采は戻らない。

 

二人のシナトラ(1998/05/16初出)

 ジャカルタの暴動を気にしながら、ある男の話が頭から離れない。フランク・シナトラが死んだ。彼の紹介に肩書や敬称はいらないだろう。その名前だけでひとつの時代がよみがえる数少ない人だった▲戦後アメリカのスターの中でも、彼ほど鮮やかに夢と力の米国を印象づけた人はいない。たくさんのヒット曲、たくさんの話題とスキャンダル。ハリウッド、ビバリーヒルズ。日本公演のチケットは十万円。何もかも破格▲しかし頭から離れないのは彼の話ではない。彼と同じ名前を付けられた息子の物語だ。娘のナンシーと同じくシナトラ・ジュニアも歌手だった。ちっとも売れない歌手だった。一人でどさ回りを続けるその姿をボブ・グリーンのコラムで知った▲移民の子が歌手になってのし上がる。そんなアメリカンドリームの典型だった父親と、同じ才能、同じ名前を持った息子の話だった。だれが見ても親子と分かる顔だちと声、音楽の才能から好みまで彼は父親に似ていた▲時代はロックの全盛期だが、彼が歌うのは四〇年代。ロックなんて歌じゃない|という感覚も父親ゆずり。父親にもスランプはあったが、何度も乗り越えて大スターの座を保った。しかし息子は十七年もどさ回りの歌手▲場末のクラブに集まる客はジュニアに「マイウェイ」を注文する。しかしステージでシナトラを歌うのは一曲だけだ。逃れられないほど大きな父の名声。同じ声で歌い続けるには「一曲だけ」は我慢しなければならない▲大統領ともマフィアとも付き合った父親に比べると彼はいくぶん上品で繊細なようだ。健在ならもう五十歳。二十世紀の二人のシナトラ。大スターとどさ回り。同じ歌を同じ声で歌っても喝采は戻らない。戻るのは喝采の記憶だけだ。世界は変わる。アジアは今日も揺れている。