「ゴンドラの歌」の元歌ではないかと推理を呼んだベニスの「バッカスの歌」は実は当時のヨーロッパを悩ませていたコレラのパンデミックが背景にあるのだと言う。町中で人がバタバタと死んでいく凄まじい感染拡大の中で「明日の月日はないものを」と歌ったと言うのだ。その頃の西欧婦人の胸元にはドクロのオーナメントがぶら下がり、「メメントモリ」(死を忘れるな)が最大の警句だった。そんな歴史を持つヨーロッパの人たちは日本人なら震え上がるほどのコロナ蔓延の中でもみんなで集まって秘密パーティーなんかやってしまうのだろうか。

 

ゴンドラウィーク(2001/05/03初出)

 連休の合間に友人に電話したら返事が揺れていた。「イマ〜、ナガサキ〜」。ヨット仲間と船旅の途中らしい。なぜか頭の中にゴンドラの歌が浮かび、続けて基本的人権が浮んだ。きょうは憲法記念日▲歌人の吉井勇の詞と中山晋平の曲で知られるその歌はこんな風に人生を歌った。「いのち短し、恋せよ乙女 紅きくちびる、あせぬまに 熱き血潮の、冷めぬまに 明日の月日はないものを」。大正ロマンの香り漂う歌▲この歌になぜイタリア・ベニスの運河をわたる小舟の名前が付いたのかについて、作家・塩野七生さんが興味深い話を書いていた。ベニスの謝肉祭で長く歌われてきた「バッカスの歌」との類似点についての推理である▲「青春とはなんと美しいものか とはいえ、見る間に過ぎ去ってしまう 楽しみたい者は、さあすぐに たしかな明日はないのだから」。この歌を大正期にベニスを訪れた日本人が伝え、だからゴンドラの歌だったのではないかという推理である▲バッカスの歌を作詞したのはベニスの人ではなく、ルネサンス(文芸復興)を世界に広げた五百年前のフィレンツェで、繁栄の象徴となった人物ロレンツォ・デ・メディチだった。以来、フィレンツェは花の都、人間中心主義の象徴ともなった▲その都では今も人々は二時間たっぷりと昼食を味わい、サッカー談義で夜を騒ぎ、長いバカンスを楽しむ暮らしを続けている。十五世紀のままの外観を保つ観光都市は土日でも美術館が平気で閉館し、日本人を驚かせる▲「なぜって? 平日に来ればいいでしょ」。そこには経済指標には表れない豊かさがある。平日に美術館に行けない日本人はゴールデンウィークにこぞって行楽に出かける。基本的人権って何だろう。人は遊ぶために生まれた|と言える日本人はまだ少ない。