細川の殿様が突如として引退した2年後、竹下元首相が突然引退した。竹下さんはとても魅力的な人物だったが、親分の田中角栄さんがあまりに強烈な個性だったこともあって十二分に仕事ができずに、いわゆる右翼の誉め殺しで転んでしまった。日本が転んでも俺は辞めない、なんてエゴが似合わない人だった。ヤクザまがいの相手に根回しと気配りでは乗り切れなかったと言ってもいい。批判する人は多かったが、つまりはいい人だったのだと思う。その孫が今は芸能界の人気者になる時代が来た。芸能界きっての美女を妻に娶り、なんだか不思議なDAIGO言葉でその荒波を乗り越えつつあるのを見て、これは意外にやり手かもしれない、と思ったりしている。
 

竹下時代(2000/05/02初出)

 竹下登元首相が政界を引退した。病気治療が思うように進まず、次の選挙出馬を断念した。一つの時代の終わり|と新聞もテレビも外国の報道機関も異口同音に伝えている。「回る回るよ、時代は回る」▲一度だけ、竹下さんを間近で見たことがある。中曽根内閣時代のことだが、ロッキード事件で倒された田中元首相の派閥をになう気鋭の人物と注目されていた。どろ臭くて、したたかという世間の評判とはまったく違う洗練されたその身のこなしにとても驚いたことを覚えている▲細心さを思わせる所作もなくはなかったが、童顔を崩して朗らかに笑う竹下さんの様子から、後に党内最大派閥を十年以上も制御し続ける威圧的なエネルギーはかけらも感じなかった。もしかするとそんなものはなかったのかもしれない▲竹下さんの政治手法は「コンセンサス主義」だという。別の言葉でいえば「根回し」「気配り」でさまざまな難局を乗り切った。よく言えば日本的情緒を大切にする政治。悪く言えば決定過程の分かりにくい密室型政治▲周囲の意見をよく聞き、事前に利害を調整した上でだれも反対できない状況を作り上げて事に臨んだ。おかげで竹下さんの本心がどこにあるのかは分かりにくかったが、大胆な変革や刷新を求めない時代には向いていた▲官僚を重用し、それが官僚主導政治を生んだとも批判されたが、それを時代は求めた。竹下登が時代を作ったのではなく、時代が竹下登を望んでいた。残念なのは、それを超えて日本を再構築する政治家が登場しないことだ▲竹下さんは替え歌が上手だった。四十代のころに「十年経ったら(首相は)竹下さん」と竹下版「ズンドコ節」を歌って先輩を怒らせたことがある。「めぐるめぐるよ、時代はめぐる。別れと出会いを繰り返し、今日は分かれた恋人たちも生まれ変わって歩き出すよ」(中島みゆき「時代」)を思い出した。