お若いのに、と憐れんでいただいた盆栽趣味は今も続いている。若い頃はついつい鉢数を増やしてしまって多頭飼育みたいな事になってしまったが、曲折はあったものの鉢数もようやく目標の10鉢に近づいてホッとしている。予定より10年長く仕事を続けてしまったが、ようやく無頼の徒になったので、毎日盆樹を眺めて楽しんでいる。だから、もう25年越しの趣味、手持ちの盆栽もようやく完成に近づいてきた。あと5年だ。次は終活で盆樹の始末をどうするかを考えなければならない。誰かにあげるか、庭木にしてしまうか、売り払うか。年寄りも考えねばならぬことがたくさんある。ああ忙しい。

 

お若いのに(1999/04/29初出)

 みどりの日。最近、趣味を尋ねられると、小声で「盆栽です」と答えている。すると中には、「まあ、お若いのに」と早死にでもしたかのようにいたわってくれる人がいる。その反応もなかなか面白い▲三年前に定年退職まであと十五年、と指折り数えて最初のひと鉢を買ったんです|と説明すると、さらに不思議な顔をしてくれる。しかしまんざら冗談ではない。盆栽は鉢に上げて三十年でようやく一人前に扱ってくれる▲六十を過ぎて始めた人が、まともな盆栽を手に入れようと思ったら、とんでもない出費を強いられる。お金に余裕がなければ代わりに時間をかけるしかない|とその夜は小鉢の中で枝を広げる小さな木を飽かずに眺めた▲水やりを始めて驚いたのは、盆栽が単なる観賞用植物ではなかったことだ。それはむしろ犬や猫のようなペットに近い存在だった。じゃれてはくれないが、ちょっと手抜きをするとすぐに反応する。想像以上、いや、とんでもなく手間がかかる▲仕事柄、よくそんな暇が|とあきれられる。しかし大丈夫。すぐに身のほどを知ってドイツ製のマイコン制御式灌水装置を買った。土中湿度を自動検知して天候に合わせて水やりをしてくれる。邪道だが枯らすよりはいい▲緑を育てるのは初めてだから、何もかも新鮮だった。しかし最大の驚きは盆栽人、中でも高齢者の心情だ。その多くは苗木も育てるが、その木が盆栽に仕上がる姿を見る人はめったにいない。それでも毎日、世話をする▲仕上がった高価な盆栽でも事情は同じだろう。木の命は長く、人の命はあまりに短い。それでも一鉢一鉢、一枝一枝に思いを込める。自分が見ることのない晴れの日の姿を夢想して、ひたすらに育てる。手間をかけ、お金をかけ、苗木をいつくしむ。その心をもう少し知りたい。