この街の歌を作りたい、と昔から思っていた。子どもの頃は立派なロック少年だと自分では思っていたけど、才能も根性もちょっとばかり不足していたから、とうとうロックンローラーにはなれず仕舞いで新聞記者になってしまった。時には長髪、Gパンでも許してもらえる有り難い仕事ではあるけれど、実はあんまり創造的な仕事ではない。何しろ誰かが何かをしでかさないと仕事にならない。何もないのに何かあるぞ、と書けば捍造時事になる。あることだけをあるがままに書けば、ああここは何と平穏な、欠伸が居眠りしそうなハッピーアイランドであった。
30歳のころ、退屈が頬杖をついているうちに人生が終わってしまいそうな気がして、色褪せた夢を引っぱり出し、埃を払って仲間を募り、借り物のレスポールを掻き鳴らしたこともある。しかししょせんは似非ロッカーだから、黒のサングラスなしではステージに立てなかった。情けない気分。昔、流行ったロック雑誌が揚げた標語 Don't believe over 30(30歳を過ぎたやつらを信じちゃいけない)を思い出し、自分がその境界をとっくに越えたことを実感した。それでもいつか、この街の歌を作りたいという思いは生き残った。
あれから25年、一枚のCDが届いた。650MBのメディアに、もったいなくも「New World」という歌が一曲だけ入っていた。昔よく遊んだ旧友が書いた詞に、今が盛りの女性ミュージシャンが曲を付けたという。親子ほども年の離れた二人の作品だが、思わず心を奪われた。この街を出て、新しい世界に向かおう、と歩き出した二人の思いを綴った小品は、悲しみを洗い流す清清しさに溢れていた。電話の向こうで彼はいつもニヤけた声音で、「うん、二人で何曲か作ろうと思うんだ。どう?コンサートやりたいんだ」と言う。
銀次こと上村良介は劇団銀河鉄道を率いてすでに27年。そろそろ赤いちゃんちゃんこが必要な年齢だが、相変わらず芝居を書き続け、相変わらず独身で、最近は「ねえ、チョイワルオヤジ(不良親父)って知ってる。おれ、あれで行こうかなって」などと戯言を口にして、相変わらず怪しいがそろそろ、やり残したことをやる気になったらしい。コンビを組む管涼子さんは、幸いになことにまだ「信じちゃいけない」年齢には達していないから、不良親父も純情を取り戻したのだろう。
二人の新曲を聞きながら、夢が蘇った。よし、応援しよう、と決めてあちこち電話をかけ始めた。またぞろサングラスをかけたままでの応援だけど、しょせん新聞記者だから仕方がない。どんな歌が生まれるか、あのCDの空白がどんな曲で埋められるのか、二人にかけてみる。じっとしていちゃ、何も始まらない。いいものを見つけたら応援する。これがACT流、街を楽しくする第一歩。「高松まちうたプロジェクト-スケッチ・オブ・ティー・シティー(sketch of T city)」の全容は最終ページに掲載する。できるだけたくさんの応援をお願いしたい。
(ACT副理事長)
(明石 安哲)