私はピーマンが嫌いである。理由は苦くて青臭いからである。できれば今後も食べたくない。中華もピザもピーマンの入ってないやつを選ぶし、強制されない限り、今後率先してピーマンを食べることはない! とかなり強く言い切れる。

ピーマン嫌いが高じて、私はピーマンについて以前から一つの疑問を抱いている。それは、「多くの母親はなぜ、子どもにピーマンを食べることを強要するのか」という疑問である。私がピーマンのことを日常やテレビや雑誌で見聞きする時、かなり多くの頻度で「ピーマン嫌いの子ども」vs「"ピーマンを食べなさい!"と言う母親」という図式で伝わってくる。そのつど、私は心の中でツッコミを入れるのである。

「じゃ、ピーマンを食べないと、子どもは一体どうなるというのか」

ま、そんなに厳しく追及するつもりはないですけど(笑)。しかし、自分で言うけど私は子どもの頃からピーマンを食べずにとりあえずすくすくと育ってここまで来たし、私の周りに何人もいるピーマン嫌いのやつも、みんなそれなりに真っ当にちゃんとここまで来ている。ちなみにピーマンを平気で食べられる知人もいるが、そいつが人並み以上に何が優れているかというと、特に何も思いつかない。子どもに「ピーマンを食べろ」というのは、もしかしたら親が何か情緒的なものに洗脳されているのではないか、とさえ思うのである。従って私の持論は「ま、別に無理してピーマン食べんでもええんちゃうん」という感じである。

今、周りを見渡すと「子どもに○○をさせろ」という意見が昔に比べてずいぶん増えているという感じがする。それを聞くたび、私は「じゃ、それをやらせなかったら子どもはどうなるうのか?」と自問してみるのであるう。すると、明確な答がないものがかなりあることに気がつく。その時は、たいてい何かの思いこみか洗脳か、あるいはそれを提唱している人の何かの意図(大人の都合)があるのだと思っている。だから私は、「それをやらなければどうなるのか?」に対する明確な答がないものは子どもに押しつけないようにしているのである。大学生に対してもである。そんなことに熱心になるより、自分が大人として、苦しみながらもしっかり生きていることを見せるほうがずっとましだと思っているからである。何しろ子供たちが大人になる10年後、20年後に、今自分が持っている答が正解であるかもどうかも怪しいのである。

                                           (ATC顧問)
(田尾 和俊)