まず驚いたのは林檎の小ささ。日本のフジなどにくらべると、それはまるでミニチュアだった。そうでなければ、どこかに小人の国があるに違いない。英スコットランドの旧都エディンバラの八百屋で見つけた林檎はそのくらい小さかった。一緒にいたH本教授を振り返ると、「うん、ここじゃ、これが普通」とこともなげに言う。するってぇとウイリアム・テルが息子の頭に載せた林檎もこんなに小さかったの? といっそう驚いたら、その他大勢が口を揃えて「あれはスイスの話。イギリスはロビン・フッド」で、無知をさらした。
ロビンは頭上の林檎を射らなかったかもしれないが、すでに小人国の妄想のせいでガリバー気分の私は、そんなことは気にも留めず、いささか胸を張りながら哀れな林檎を掌に載せ、「そうか本当はこんなに小さかったのね」とガリバー気分を盛り上げた。驚いたのは店の奥から出てきた店員が、すでにガリバーであったこの私が、さらに見上げるばかりの大男だったことだ。ムムッ。上には上がいる。きっと彼なら指2本でこの「一口リンゴ」を摘まみ上げるに違いない。スコットランドは背が高い。いや奥が深い。
8年前のエディンバラ・フェスティバル・ツアーを振り返ると、こんな出来事の連続だった。大きいと思っていたものが小さく、小さいと思っていたものが想像をはるかに超えて大きく、不可能が可能に見えてくる旅だった。その後も毎年のようにエディンバラに出かけるH本教授は、今年の夏も何人かの仲間と連れ立って「世界最大の芸術祭」に出掛けた。そのクルーの一人、ジェトロ高松に勤めるS田さんにレポートをお願いして、四国新聞に3回連載した。演劇オタクで香川大学大学院で地域マネジメントを研究する彼女の結論は、憧れてばかりじゃつまらない、うちらも「シコク・フェスティバルをやろうぜ!」である。
1947年からほぼ60年の歴史を誇り、40万都市エディンバラに世界中から80万人の観客を集める芸術の大フェスティバル。伝統、規模、水準、評価、どれを取っても遥かに手の届かないと思えた大イベントが、その細部まで見ていくと、「高松でも出来るんじゃない」という結論になった。実は8年前に1週間滞在した私も同じ確信を抱いた。世界最大の芸術祭は、世界最大の資金や世界最高の人材で生まれたのではない。観客の50%以上をエディンバラ周辺の人々が占めるという事実が、それを物語る。海外からの観客や芸術専門家の数はその一部でしかない。世界最大の芸術祭は地元民の愛で出来ている。
自分の街、エディンバラは素晴らしいーという人々の確信が、平然と酒場を劇場に変え、倉庫をコンサートホールに仕上げ、街のすべてをフェスティバル会場に生まれ変わらせ、80万人を楽しませている。そんなことがこの街で起きてもいい。少なくとも高松の八百屋の林檎はエディンバラより格段に大きい。
(アーツカウンシル高松副理事長)
(明石安哲)