数年前、あるトーク番組に出た時のことである。私を含めた男3人と進行役の女性レポーターがいろりを囲んでうまいもんを食べながら雑談をするという設定で、話している途中に、名物料理とかでドジョウ鍋が出てきたのである。

私「ここはSさん、レポーターやからドジョウを食べて一言コメントせないかんやろ」

S「私ー? 私ドジョウ、ダメなんですよ」

私「だめだめ、プロは何が出てきてもちゃんと食べてコメントせな」

G「それも視聴者が思わず食べたくなるような、おいしそうなコメントをね」

S「えー?」

などと言いながら、我々に急かされてドジョウを頭ごと丸ごと口に入れて食べたSさん、満面に笑みを浮かべて一言言いました。

S「ん~! カルシウムがたっぷりですねえ!」

全員「わかるんかい!」

ま、Sさんは本人は頑なに否定するが周囲が認める"天然"であるから、そんな魂の抜けた(笑)コメントをしてもみんな笑ってオッケーなのであるが、編集屋出身の私に言わせれば、もうそこいら中で、特にプロの世界で「魂の抜けたコメント」が蔓延していて、しかも多くのプロが、そのコメントに魂が抜けていることに気づいていないのではないかと思うのである。

「骨ごと=カルシウム」や「ジューシー」や「フルーティー」といったグルメ表現だけではない。例えば「期待したいものです」「懸念されます」「みんなで考えていかなければならない」......といった、とりあえずオッケーみたいな表現が非常に多いが、もし発言する側に魂が入っていれば、絶対にそんな表現にはならないのである。

本当に何とかしなければいけないと思っている人は、「考えていかなければならない」みたいなコメントは絶対しない。本当に四国の独立リーグを応援する人は「地域の活性化に結びつくことを期待している」などという魂の抜けたコメントはしない。そういうコメントに魂が抜けていることは、自分が当事者の立場にたったことを想像すればすぐわかる。そして実は多くの客や視聴者や読者は、魂の抜けた"他人事のコメント"に気がついている。気がつかずに酔っているのは、実はプロだけだったりするのである。                                          (ACT顧問)

(田尾和俊)