「カウンターカルチャー」について | 私の好きなアートと建築

私の好きなアートと建築

50年に亘り、世界中の野外彫刻と建築を見てきています。その中から、わたくしの好きな「作品」を紹介していきたいと思っています

      日本人は一億総親戚のように結束が固い。一枚岩でありたいのか、 

村八分になるのが恐ろしいのか、あらゆることが横並び。

ズバリと明快なニューズウィ-クのコラムニスト・河東哲夫は、今週号(2022.2.8)で、

「世界が日本と異質なら(「日本が世界と異質なら」ではない)鎖国してしまえということで、

今のコロナ鎖国は実は日本人の気質に合っている。」と言う。

 

         江戸時代ならともかく、今は全く異なり、日本が閉鎖社会で、

ある種の時間の停止と経済成長など無用というわけにいかない。

明治の開国が第1回目とすると第2回目は「カウンターカルチャー」

つまり、異質な他民族を受け入れる国家になる方策を考えることだ。

 

         日本の問題点は単一民族の思考回路に変化が見い出せないことによる。

 

     世界中が創造性に血道を上げ、生き残りをかけ、新しい道を模索する中、

日本だけは、明治時代の追っかけ追い越す段階を続けて、

うさぎとカメの寓話に留まり目的を忘れてしまった。

 

    最近のリーダーである首相の記者会見のように、民主主義のルールを無視している。

いやな記者や質問に対し、拒否することが多くなった。

つまり、煎じ詰めれば、面倒な問題を回避したいし、

シャンシャンシャンの株主総会のような記者会見にしたい。

本音のところ、コミュニケーションはしたくないし、カウンターカルチャーは無理なのである。

 

        試しに、コンサルの大臣を雇ってみたらどうだろう。

政府高官はどうか。野球やサッカーなどの監督や、コーチに限らず、

日本の企業も外人の社長を雇ったりしている。

国民としての税を収めればOKというシステムに開放しなければ、

政治も経済、文化もいつまでたっても金太郎飴で、

この40年の不況を克服できないばかりか、破綻するまで続けるのか。