能勢孝二郎の作品を集大成した本「NOSÉ KOJIRO BLOCKHEAD」が
(発行:編集工房 東洋企画/ISBN978-4-909647-34-4 C0471 定価5000円+税10%)
本人から送られてきた。パブリックアートのシーンが日本でありながら、
沖縄という土地柄や文化や歴史が異なった状況も影響して、
独自の進化をし続けている表現に注目してきた。
特に、日本のパブリックアートの最盛期である20世紀末に、
沖縄県以外では能勢のような表現者を建築家や地方自治体が評価しなかったのは、
現在のパブリックアートの衰退とも関係している。
当時はバブルの最中で、土地とともに建築費も高騰し、
それに便乗するかのように、パブリックアートも
ステンレスや花崗岩といった高価な素材が持てはやされた。
問題なのは、表現よりも堅固で永久不変な素材、
美術本来の目的-自由な表現のための素材という関係はそっちのけだった。
日本の保守的な特殊性、高価で加工が難しく、
当然、自由な表現が難しいことと作品の評価が何故か結びついた。
よく見かけるコンクリート・ブロックはブロック塀とか物置の壁であったり、
本格的な建築素材ではなく、
とりあえず安価で見た目もいかにも仮設素材として使われる、
つまり、究極の付加価値を求める表現の素材とは正反対のものを
能勢孝二郎は敢えて使うのである。
推測ではあるが、自然素材、木や石などは沖縄では手に入りづらく、
工業製品もそうであったろうと思われる。
それにもまして、コンクリート・ブロックを使う根本的なことは、
閉じた素材ではないこと、穴が空き、人の口と同様会話をする、
コミュニケーション可能の素材として捉えたのではないか。
そして、沖縄の民家の珊瑚石を積んだ塀のように、小さな気泡の集合体であり
空気を呼吸する素材、長年連れ添ってもしっくりする素材だったのではないか。
なぜ、素材にコンクリート・ブロックなのをかを考えてみたが、
作品は沖縄の文化的、歴史的な土壌に関わる表現に対して理解や共感があったからだと思われる。
というのも、「沖縄県立博物館・美術館」の野外彫刻展示場の中央の作品には、
沖縄の余りに矛盾に満ちた永遠に対する葛藤が、
破壊されても足場パイプを補強し、また組み立て直し、
終わることのない能勢孝二郎のテーマが見える。
何年か前、案内してもらった能勢孝二郎・裕子夫妻も入るであろう
能勢家の「ファミリーのお墓」にも何があっても理念とテーマを探って、
未来へ手を伸ばし、歩みを進める力強さを表現していた。
そして仮設的なのは、完成ではなく、終わりでもなく、
これからも「絶えず動く」を表現することを意図している。
「南城市文化センターシュガーホール」の壁面全体を覆う
コンクリート・ブロックによる造形はバロックなのだろう。
シンホニーのように繰り返すせせらぎのような波、
そして怒涛のように押し寄せる大波。
これがコンクリート・ブロックかと思わせる波と人が営む
都市のハーモニーをダイナミズムに謳う。
ここでは県立博物館・美術館のような背負った
戦争の惨禍と政治的な問題などとは離れ、
南洋に浮かび、自然と共に生き、未来に生きるための
創造的な都市環境をつくるための提起に見えた。



