初めて出合ったのはシンガポールの
エスプラネード・シアター・オンザ・ベイ(通称ドリアン)であった。
外観が日除けのトゲトゲがいかにもドリアンそのもの。
世界を高笑いの渦に巻き込もうというのか。
ドリアンはシンガポールと言えばマーライオンの傍、シンガポール川の河口にあり、
シンガポールを象徴するラッフルズホテルの対岸に建つ。
金融と観光だけでなく、文化都市もアピールしなくてはと着々と計画は進められてきた。
中国生まれの作者の学敏君は
都市の中で意味と動きに何らかの連動したくなるようなオブジェを
表現したのではないか。
というのも、パブリックアートが何故社会で関心がなくなり、愛されなくなったのか。
社会の変化にただ美術というだけで置いてきぼりをされる現実に人を巻き込み、
人の動きに対応する造形を考えたのかもしれない。
笑う人の作品の前に来れば、ついつい笑ってしまう。
そして、ヒューマンスケールなので、その記念写真を撮る。
人にアクションを起こさせる作品なのだ。
しかし、北京の「798芸術区(大山子芸術区)」にある
学敏君のギャラリー前の作品とギャラリー内の作品群は
シンガポールの作品とは状況が全く異なり、
不愛想なのだ。ちんまり、冷たく収まり、訪れる人を巻き込まない。
シンガポールではパーフォーミング・アート・センターのロビーに
降ってわいたような数組の「漫才師」。
そして北京では工場跡地の沈んだ空気とコンクりートのオブジェが
あの明るく何事も吹き飛ばす高笑いはなく、
重い現実に足もコンクリートの沼に嵌って身動きできなくなる。
エンターテイメントとしては十分でも、
芸術として現代に生き続のは難しいということか?



