純粋理性批判では、ポールロワイアル論理学を元に、原理論では判断形式からカテゴリーの導出や弁証論では三段論法から理念についての分類を導出している。
この時代の論理学は、語を中心とした述語論理(∀x,∃xに限り多量化は含まない)と様相論理(量化は含まない)が中心となっている。
様相論理といっても現代の可能世界意味論での意味論はなく、アリストテレス由来の解釈に近い意味づけとなっている。
現代は集合論と一階述語論理でほぼ数学の世界は説明できると言える。
実際は、二階述語論理で実数論の展開が可能となるが、ここでは、集合論と一階述語論理でどの程度カントの分析手続きを意識して展開するとどうなるか考えるとどうなるか実験してみよう。
まず、カントの感性論で、時間と空間が形式として認識されているが、以前の論理学では、個体の認識論となる。
語から判断、三段論法という流れの判断の構成要素としての語の認識として実質と形式により、時間と空間が形式として
解明されている。
この語をなにか不明のxの集合Aとして捉え、そこから、命題関数として認識展開とする場合どうなるのか。
形式は集合論での要素列挙ではなく、要素内容の記述となる。
個体としてはxが集合Aに含まれる。x∈Aとなる。時間と空間は、要素内容の記述として展開される。
経験により、要素内容が確定するなら、時間と空間は、経験を待って確定するか、経験以前に制約条件として確定したものとなるかになる。
時間空間の認識は、人間の身体の属性に依存する。空間は身体の三方向の身体感覚から、時間は、身体の心臓の振動の身体感覚が元になっていると思われる。そういう意味で人間の身体による制約条件としたほうが分かりやすいと思われる。
人間の身体を無視するなら、時間と空間の次元は合わせて4である必要も無く、たまたま、4つしか分からないからだということと思われる。10でも無限次元でも人間という制約条件をかぶせれば、よいということとなる。
そういう意味では、論理学も集合論による認識も制約条件と言えるかもしれない。
次に分析論では前半が数学の判断形式が基本となっており、後半が物理学の原理が基本となっている。
様相について、様相論理はいったんおいておいて、量、質、関係については、一階述語論理を元にするどう進んでいくのか考える。
ここでは、論理子をどうとらえるかがポイントとなる。∀,∃以外に、¬、→、∨、Λがある。論理子は、集合論で捉えることも出来る。
自然演繹を参考にすると推論規則のみ残り、そうなると判断の分類や量化や個体変数の複数化の捉え方を整理する必要がある。
他の論理体系でも公理が判断の形式としてどうかという問題もある。
(続く)