偉そうに書いてみた。 | 雷人の部屋

雷人の部屋

催眠・潜在意識から見たココロとカラダ、ときどきタマシイの話。

先日友人と話していて、「何かを残すことも我々の仕事のうち。そういう立場になってきた」ということ話題になったので、こういうことも書いてみる。

 
久しぶりにマジックショーをやってきた。
 
物事というのは継続し続けるからこそわかることもあるが、離れて眺めるからこそわかることもある。そして久しぶりに触れてみるからこそわかることだってある。
 
若いうち(何歳までが「若い」のかは置いておくとして)は「勢い」でなんとかなる。
それは初々しさだったり、可愛さやかっこよさといった上っ面の良さだったり、元気良さといった形で現れる。
世阿弥が『花伝書』の中で言っている「時分の花」っていうのはこのことだろう。
 
年を取ると「勢い」では人は惹きつけられない。
世阿弥の言葉で言うと「まことの花」というのが求められるのだが、僕が今回マジックをやってて思ったのが「格」が求められる、ということだ。
 
「格」とは何か?
それはそれまでに積み重ねてきたことから醸し出される匂いのようなものかもしれない。
あるいは人格とか品格という言葉があるように、その人の人間性が作り出す安定感といった方が良いのかもしれない。
 
よく「何をやるか」よりも「どうあるか」の方が大切だと言われるが、このレベルになるとやってることと在り方の区別がつかなくなる。
 
さて格があるか無いかを見分ける方法だが、スーツや正装が似合うようになれば、多分格が付いてきたということなんじゃないかと思う。
 
ファッションタイプもあるので一概には言えないけど、チャラチャラした格好とかTシャツ着てやってるうちは、まだまだ若い、つまり未熟ってことだ。