再び 承前。
註)以下に描かれることは事実を多少誇張・歪曲して書かれている。
実際の人物・事実とは無関係なフィクションとして読んでいただく方が良いかもしれない。
Mという男がいる。
パッと見は物腰柔らかい長身の優男、といった風情である。
仕事はプロマジシャン。
その芸風は外見にもかかわらず、10人中5人はドン引き、4人は曖昧な笑顔を浮かべ、1人はバカ受けするといったものだ。
何故ならその芸風は、彼のもう一つの仕事を取り入れたものだからである。
その仕事とは、SMの緊縛師である。
もともと僕はこういうアクの強い人物が大好きだし、彼もこういう芸風にも関わらずスタッフやお客様に対しても礼儀正しいので、彼と仕事をするのは楽しくもあり、また安心して背後を任せることの出来るマジシャンであった。
そんなある日。
とあるリッチな人々が集まるパーティ会場で、僕とMが一緒にマジックショーやることになった。
一番手をMが務めて、僕が最後を締める、といった構成だ。
打ち合わせのときにMが言ってきた。
「雷人さん、さっきお客さんに変わったものが見たい、って言われたんで、緊縛ショーやっていいですか? 丁度アシスタントも連れてきたんで」
「んー? いいんじゃない? 俺が後を締めるから、好きにやっていいよ」
どうせ縄でグルグル巻きにして、せいぜい言葉責めくらいしかやらんだろう、と甘く見ていたのだ。
そして運命のショーが始まった。
M「脱げ」
命令通りに脱ぎ始めるアシスタント。
ちょっと待て、アシスタントって、そっちのアシスタントかよ!
そしてそれを芸術的な縄さばきで縛り始めるM。
恍惚とした表情をするアシスタント。
それは美しくも淫靡な光景であったはずだが、人というのは余りにも日常とかけ離れていると、少しも興奮しないものらしい。
と、ここまではまだ良かった。
お客様の中から歓声や口笛が飛び交っていたのだから。
縛り上げた後、ここでは書けないような言葉を浴びせかけ、鞭を打ち始めるM。
鋭い鞭の音と悲鳴が上がる。
さっきまで騒いでいた客席、完全沈黙。
凍りつく空気。
完全思考停止。
ドン引きする空気。
Mという男、イニシャルと違って超ドS。
Mのショーが終わり、客席から渇いた拍手が起きる。
おそらくお客様もどう反応していいか分からなかったに違いない。
だがその場で一番どうしたらいいか分からなかったのは、この僕であった。
この空気どないせいっちゅうねん!
だが不思議なもので、極限まで思考が停止すると物凄い閃きがやってくる。
当初プランは4つあった。
①コメディマジックでみんな笑って楽しく終わる
②視覚的に鮮やかなマジックで度肝を抜く
③シリアスなメンタリズム
④諦めてショーを中止する
事前に用意していたプランは①であった。だが何をやっても笑いが起きそうにないこの雰囲気ではやっても無駄であろう。
ホンネを言うと④にしたかった。だがそれでは僕自身もMもお客様も誰も救われない。
②は何度もやっているので自信があった。にもかかわらず何かが違う、と思った。
③は本番で一度もやったことがなかった。にもかかわらず、これしかないと思った。直感である。
「③でいきます」
スタッフに告げてステージに上がる。
結果として、これ以上ないくらいにシリアスな雰囲気にシリアスな演技をぶつけたのが功を奏したのか、大盛況のうちにショーは終わった。
こうしてマジック人生最大の危機は去っていった。
Mにこってり説教したのは言うまでもない。
ショーの後、あるお客様と握手したいときに、そっと折り畳んだお札を渡された。
その目は「あの雰囲気をどうにかしてくれてありがとう」と語っていた。
これがプロの報酬である。