速くなければ生きていけない
強くなければ生きていけない
動物は様々な「~でなければならない」をクリアしなければ、明日の命ですらおぼつかない
人間はどうだろうか
なりたい自分になるためには「~でなければならない」をクリアしなければならないが、そのなりたい自分になれなければ命がおぼつかない訳ではない
失敗したなら失敗したなりに、その場を都合よくやり過ごせば、生きて行ける
これで良いのだろうか
自問自答は続きながらも、妥協の末に生み出された明日は続いて行く
私は産まれてこのかた、『いいひと』になりたいと思った事は一度もない。仮に、自分と同じ人間に出会ったならば、こんな性格の悪い人間とは関わりたくない。そして、俗に言う『いいひと』が嫌いですらある。人間とは性悪な物であり、『いいひと』など虚像に過ぎないと思っている。
よくある「道を歩いていたおばあちゃんの荷物を持ってあげた」など絶対にしない。私の尊敬する人物の言葉を借りれば、「君は正しい事をしていると思っている自分に酔っているだけだ」と言ってやりたくなる。
「無駄な命なんてどこにもない」私はこの理論にも否定的であるが故にそこには「価値ある命」というものも確かにあると考える。その価値ある命、明日を迎えるべき命が、私を形成する一つのパーツによりつなぎ止められるのであれば、そこに喜びが生まれるのであれば、喜んで差し出したい。結局前述の「正しい事をしていると思う自分に酔っているだけだ」という部分に接触してしまう幼稚な詭弁だが、私はそんな想いから、臓器提供意思表示カード、通称ドナーカードを持っている。ドナーカードにより未来を生きるべき生命が一つでも多くつなぎ止められて行くのは喜ばしい事に違いない。いつか息絶える時、この一枚のカードが見知らぬ誰かの幸せに貢献出来る事を、切に願っている。