・誰じゃあ、ソレ・・・(笑) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

『堀井 まなぶー⤴・・・、誰じゃあ、ソレ・・・?!』

と云うほど忘れて居たお懐かしい名前だったが、まだ、永田町に居たんだ・・・(笑)

 

(画像は、mainichi.jpより拝借)

 

 ジジイの記憶が狂って居なければ、盤石与党・自民党が、所謂『タレント議員』と云われる

『ミーハー有名人・・・』

を永田町に集め出したのは、確か、元、NHKの全国区人気アナウンサーで、毎週何曜日かのゴールデンタイム(=PM・8:00~9:00)に、『ふるさとの歌まつり』と云う長寿人気番組で、全国のジイサンバアサンたちを誑(たぶら)かした

『宮田輝氏・・・』

が最初で、まだ、参議院の『6ブロック比例代表制』に為る前の、47都道府県入り乱れた頃

『全国区・・・』

と云うNippon列島全体を選挙区にした大規模選挙運動を強いられて居た頃で、与野党が、支援を貰う業界団体や労働組合の代表らが候補者に名を連ねて居た時代だったと想うが、今、Wkipediaを繰ったら、宮田輝氏が初当選したのは『1974[昭和49]年』だったと在るから、ジジイ、17歳(=高校2年生)の時ってことだわな・・・!

 

 血筋的に政治好きだった親父が、このタレント担ぎ出しを、

『情けない話だなあ・・・!』

と嘆きながら、自分が引き受けて居た農業団体推薦候補のチラシ配りに、手弁当で走り廻って居た頃だ・・・(笑)

 

 この時の宮田氏の、

『群を抜いたトップ当選・・・』

が、その後の自民党に、この手の

『ミーハー(=タレント)候補者擁立作戦・・・!』

の味を占めさせ、ジジイが憶えて居るだけでも、NHKで宮田氏と同期で、その後、民放に移って人気を博して居た

『高橋圭三氏・・・』

とか、後々は、

『扇千景氏とか、山東昭子氏等・・・』

と云う、そこそこキレイどころを並べて、所謂

『ブラウン管(=TV)タレント・・・』

を担ぐことで、この『全国区』と云う選挙区を、

『知名度で、楽して勝つ・・・』

と云う戦略を常套化し、後にも、この傾向は、『橋本聖子氏』とか、TOKYO2020担当大臣を務めた『丸川珠代氏』等々と云った

『立て看板(=宣伝)議員・・・』

を多数担ぎ出す『楽勝戦術』は、今も少しも治って居ないしな・・・(笑)

 

 この『ミーハー候補担ぎ出し戦略』が功を奏して居た当時は、まだ戦後間も無く始まった労働争議から『6、70年安保闘争』へと続く

『労働組合(=総評系)の組織票・・・』

が幅を利かせて、野党第一党の『日本社会党』が、全国レベルでの

『きっちり票割計算=議席確保・・・』

がしっかり出来て居て、ソコソコの当選者を出して来るので、自民党には何とも五月蠅(うるさ)い存在で、それを抑えるための妙案だった訳だが、これが、高度経済成長の終焉の頃には、労働環境(=賃金)改善で、

『一億総中流・・・』

と呼ばれる時代に為って、それに連れ、労組がドンドン闘争意識(=組織結束力)を失い弱体化するに連れ、それを恃みにして来た『社会党』も次第に斜陽化し、全国区では荷(=資金)が重くなって、この『全国区』が、1982[昭和57]年、遂には、全国を『6ブロック』に分けた『比例代表制』と云う

『省力化選挙区制度・・・』

へと変わったことで、この『有名人(=タレント)担ぎ出し』は、参議院では影を潜め出すのだが、今度は、この後、場所を『衆議院』に移し、万年与党化して一党独裁化して、金権腐敗が常態化した政治の改革を謳い文句にした

『America式議会制度への移行・・・』(=政権交代可能な二大政党制)

と云う『画に描いた餅』へと姿を変え、喧々諤々の議論の結果、あの『細川連立政権』の時代に、

『小選挙区・比例代表並立制・・・』(=1994[平成6]年成立・1996年総選挙から実施)

と云う、何ともご都合主義的制度に為って、今に至って居る訳だ・・・(笑)

 

 この『比例代表並立制』と云う選挙制度の何が『ご都合主義か』と云うと、この選挙制度には、今更、このジジイが云うまでも無いが、

『小選挙区立候補者が、各比例ブロック選挙区にも名簿記載されて、重複立候補出来る・・・!』

と云う

『オマケ失業対策(=惜敗率復活当選)・・・』

が着けて有るからで、政党公認の小選挙区立候補者は、若し、対立政党候補に競り負けても、その得票率(=『惜敗率』と云う)に依っては、

『復活当選が出来る・・・!』

と云う、誠、都合が善いと云うか有難いと云うか不思議な制度で、一人区制なのに、

『若しかしたら、同じ選挙区の2番でも当選出来る可能性が有る・・・!』

と云う珍現象が起きるから、なかなか新人政治家が育ち難い

『新陳代謝の起きない選挙制度・・・』

と為り、その最たる副作用が、ジジイがいつも毒吐く

『世襲議員の常態化・・・』

と云う、まるで『封建武家時代』に逆戻りしたような、近代民主主義政治とは逆行した病巣を産んでしまって居る訳で・・・!

 

 今回、この元オリンピック銅メダリスト議員殿(=リレハンメル大会・1994年)は、高が

『香典&枕花配り・・・』

と云う、昔なら何でも無かったし、今でも世間では常識的範囲の

『他人付き合い行為・・・』

を咎められ、永田町での居場所を封じられることに為った訳だが、若い頃のスピードスケートで培った名前と実績で、現役引退後は、地元の北海道(=登別市)で県議会議員の椅子を得、その後、まだ残って居た『昔の知名度』を買われて、自民党の『地方タレント擁立戦略』に乗って、

『衆議院・北海道9区&比例区重複候補・・・』

へと身を移して当選し、今は、

『復活当選での4期目中・・・』

だったらしいから、誠、お気の毒な顛末だわな・・・(笑)

 

(画像は、mainichi.jpより拝借)

 

 尤も、現在4期目(=2012[平成24]年・初当選)ってことは、所謂

『安倍チルドレン・ど真ん中議員・・・!』

ってことだから、安倍氏人気に上手く乗っかり、僅か4期目にして、

『外務副大臣(=安倍内閣)&内閣府副大臣(=岸田現内閣)・・・』

なんて余得にも与って来たのだから、ここは、まあ『スポーツマンシップ』に則って、潔く退場するのが、一番の路ってことかな・・・?!

 

 尤も、一度美味しい密を識ってしまったお方は、なかなか永田町からは去り難いのが常だが、この御仁は、早々

『次の選挙には出ない・・・!』

と宣して居られる辺りは、やはり、自分が、永田町の水(=政治家)には向かないと悟って居られたのでは・・・?!

 

 今の、世襲跋扈の永田町では、スピードスケートでは世界3位には為れても、アイスアリーナの様に上手くは滑れませんからな・・・!

 

 何せ・・・、恃みの『安倍師匠』もお亡くなり為り、名門派閥・清和会自体が、今回の大失態で自爆(=解散)しちゃったのでは、最早拠り所も有りませんしなあ・・・(笑)

 

 大体が、自民党が担ぎ出して来る、この手のタレント候補や世襲候補は、そもそもが、

『政治への志・・・』

と云うのは皆無で、自分の知名度への自惚れや、親の地盤、看板を恃みとした低メンタリティー候補が殆どで、永田町では、高学歴の『霞が関官僚』に佳いように持て遊ばれて居る(=利用)だけで、この国の政治を劣化させ続けて居る元凶なのなのだから、国の政治にダイナミズム(=活力・躍動感)を起こす上でも、こう云う方々には、一人でも多く

『早くご退場願いたい・・・!』

と想っているのは、何もこのジジイだけでは無いはずだがな・・・?!

 

 今回、運悪く、些か苦い水は呑まされた形の引き際とは為ったが、まあ、刑務所に行くような重罪でも無いし、今の自民党(=岸田政権)の不人気の中では、次の選挙もなかなか厳しかっただろうから、

『佳い引き際だった・・・!』

と想われるが賢明かと、無責任な政治好きジジイは存じますがな・・・?!

 

 地元北海道に帰れば、まだ、昔の知名度(=メダリスト実績)は残って居るでしょうから、氷の上で活躍されるが宜しかろうと・・・?!

 

 ってのは、余計なお節介か・・・(汗)

 

 またけふ(今日)も、まったく面白くも無い超長ネタ駄文にお付き合い頂いて居りましたら、心よりお詫び申し上げます・・・(謝&拝)