・La Pazzの夜は、美空ひばりさん・・・(笑) | 日本哭檄節

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還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 けのふ(昨日)の夜は、

『Cochabanba で一番物騒な市場街・・・』

に連れて行って貰って、水や泡を掛けながらの土産モノ物色&買い物に費やした訳だが、まあ、あの市場街は、

『一言では云い表せ無い複雑怪奇な貧民窟・・・!』

と云えるような処なのに、幅が1メートル程しかない迷路のような両脇に、南米特有の毛織物や民芸品の店が軒を連ね、少し大きな路地では、往来にカマドを並べて、牛肉や羊肉の炙り物を売る店の煙と匂いが立ち込め、男たちの口喧嘩も彼方此方で起きて居るのだから、

『例えようが無い街・・・!』

としか云いようが無かった・・・(笑)

 

 そんな喧騒渦巻く街を、平気で歩く息子の女性友達のバイタリティーには、一目も二目も置くと云うか尊敬すら覚えたが、買い物を終え、夕食だけはジジイの『Boliviano』で払わせて貰って、

『ここ数日のお世話に対して・・・、お礼の一品でも・・・⁉』

と云う矢先に、お相手からのお土産を貰うとは、還暦半ばのジジイの面目も丸潰れ・・・(汗)

 

 

 けふからは勤めが有るとのことで、昨夜、HOTELのロビーでお別れしたが、是非、もう一度お会いしたい賢い女性だったわな・・・(汗)

 

 ジジイがもう30年若かったら、土下座日参で口説くところだが、我が愚息にはそんな度胸も無かろうしなあ・・・(笑)

 

 

 兎に角、南米の人たちは、ノリが佳いと云うか明るて素朴で、我がNippon が失ってしまったモノが、まだたくさん残って居るのは、何とも心地快かった・・・!
 

(雲間に、アンデスの雪山が臨めたのだが写って無いなあ・・・!)

 

(眼下に視えて来たのは、標高4千メートルのLa Pazzの街並み・・・)

 

 今回は、高山病パニックには陥らずに済んだのは、何より・・・(汗)

 

 てな訳で、けふは、昼2時半の飛行機で、また、標高4,000メートル超の『La Pazz』に移動し、いよいよBoliviaとの別れの夜だが、息子が連れて行ってくれたレストランは、Nipponを発って初めての日本食レストラン・・・!

 

 その名は

『Japon Restaurante Kenchan・・・』

とか掲げて有ったが、そうは云っても、メニューは至ってシンプルな『大衆食堂』とでも云えば佳いか・・・(笑)

 

 ジジイが頼んだのは『唐揚げチャーハン定食』だったが、これが、案外美味しくて、胃の無いジジイが、ほぼ完食・・・(汗)

 

 もだが・・・、さすがはNippon食レストランだけ有って、店内に流れる曲も日本の歌で、まさか、Boliviaで、美空ひばりさんの『川のながれのように』を聴こうとは・・・(笑)

 

 他にも、細川たかしさんの『北酒場』や、クールファイブの『長崎は今日も雨だった』や松田聖子さんの曲など、このジジイも、つい口遊みたくなる曲のオンパレードには、笑ってしまった・・・!

 

 ジジイが、愚息の命名の元にした、さだまさしさんの『男は大きな河になれ』を、息子に、

『俺が、店の片隅で歌って進ぜようか・・・⁉』

と宣ったら、

『二度と来れなくなるから、止めてくれ・・・!』

と睨まれたが、演歌やニューミュージック系統までなら、昔は、

『生きたジュークボックス・・・!』

の異名を取ったのだがなあ・・・(笑&汗)

 

 

 てな訳で・・・、今宵までの息子との十幾日も、過ぎてしまえばアッと云う間で、明日は3時起きで、8時の飛行機で、また二十数時間近い機内拘束とトランジットの十五時間を加えて、18日の夕方には、Nipponの土を踏める段取りですが、太平洋を隔ててほぼ真裏からの駄文にお付き合い頂いた方々には、心より感謝申し上げます・・・(謝&拝)

 

(余計な一枚・・・汗)

 

 綴れ無かった余談は、帰国後、札幌までの遠征の後、折に触れて、また報告させて頂ければ、幸いに存じます・・・⁉

 

 語り尽くせないほどの社会見学をさせて貰いまいした故・・・(汗)