・また、遣っちまったぜい・・・(笑) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 実は、けのふ(昨日)の『映画二昧』に出掛けるのに、ジジイは、連れ合い転がしかバス往復かで、前日まで悩みに悩んで・・・(汗)

 

 と云うのも、宮崎交通には、(西)都城駅から宮崎駅までは、

『往復1,000円ぽっきり・・・!』

と云うサービスが有って、これだと、連れ合いを転がさずにゆっくりうたた寝をしながら往き返り出来るので、

『この法(て)を遣うか・・・?!』

とも悩んだのだが、問題は、日本の作品が別々の映画館で上映されて居て、然も、『一日一回上映』となって居る上、その映画館同士の距離が、

『片道15分~20分の微妙な距離・・・』

と有っては、宮崎駅から、先に懸る『こんにちは、母さん(=9:50~110分)』の『セントラルシネマ宮崎(=EAONモール宮崎内)』までは、バス時間は十分選べるが、それが終わって、そこから、宮崎駅前の『宮崎キネマ館』で上映される『福田村事件(12:20~14:35)』までには、上手く殊が運んでも、ギリギリ30分しか無いのでは、三連休で混むあの道路を、バスではとても間に合わないし、この丸貧ジジイがタクシー代を叩く度胸は無い上に、路が混むのは毎度の事だと識って居るジジイは、結局、

『連れ合い尻叩き裏道作戦・・・』

を採ることに決定・・・(汗)

 

 相変わらず、前置きが長いな・・・(汗)

 

 然も・・・、この連れ合い尻叩き作戦なら、先ず、朝一番で『キネマ館』の開館と同時に『福田村事件』のチケットを購入して措けば、上映前のチケット売り場の混雑を、『まだか・・・、まだか・・・?!』とイラつかずに、

『お先に失礼・・・!』

と笑って通れるし、席の選択も、幾分遅れても先客に迷惑を掛けない通路側で選択出来るしー・・・(笑)

 

『ウーン・・・、Good Ideia ・・・!』

と自分を褒めながら、朝の出発の時間(=8:00前)を意識して、幾分早目のご就寝で、目覚めた翌朝(=けのふ)は、殊は、急に冷え込み出した朝の寒さ以外は、ジジイの目論み通りに運んで、先ず最初の目的地の『宮崎キネマ館』に入る駅前通り(=橘通り)の大きなビルの角に来て、左折しながら目に飛び込んで来たのが、この看板・・・!

 

 

 これを観た瞬間・・・、ジジイの脳が、

『ナヌー・・・、山下清展じゃとーー・・・?! 

とパニクり、然も、その開催期間を視ると、『10/7~』とは、けのふ(昨日)からではないか・・・?!

 

 これは、幸甚・・・!

 

『千載一遇とは・・・、当に、この殊よ・・・!』

とばかりに、キネマ館での『福田村事件』鑑賞を終えたら、一路、これが開催されて居ると云う

『宮崎県美術館・・・』

へまっしぐら・・・!

 

 何せ、十五年ほど前から3年間ほど、この『Miyazaki City』では、仕事をさせて頂いた経験が有るから、土地勘は、然程の苦労も無く辿り着いたが、宮崎神宮の近くの『県立文化公園』と云う敷地は、広くも広くて、他にも図書館や博物館も建って居るエリアだが、その中の中央に、目指す『美術館殿』が・・・!

 

 

 さすがは日光を嫌う美術物を保管展示する建物は、窓も素っ気も無い代物だが、両翼は、優に100mを超す幅が有りそうな威厳の有る立派な建物・・・?!

 

 こんな高尚な処など、一生に何度も来るような柄では無いが、けふは特別・・・!

 

 何せ、あの『山下清画伯』の特別展に巡り会わせたとは、何たる幸運・・・!

 

 美術館の全景を一枚頂戴して、意気揚々と中央の入り口から乗り込み、ホールの案内お嬢様(?)に、

『山下清展は・・・、2階ですか・・・?!』

などと愛想を遣って、お嬢様が左掌で翳された階段を昇って、受付のチケット売り場で、二組ほど先客を待って、カウンターで、

『独りです・・・!』

と告げると、対応してくれた男性が、

『お一人様・・・、1,000円です・・・!』

とのお応えに笑顔で頷き、自信を持って、いざ、肩に掛けて居た小物入れBag のジッパーを開き、中に在るはずの財布を漁せ繰るが、肝心のモノが手に掛からない・・・!

 

 焦った・・・(汗)

 

 だって、セントラルシネマで、自動券売機で、『シニア割』の1,200円を、板垣退助殿と500円玉コインで投入し、300円のお釣りを掴み出した以外には、普段なら買うフライドポテトとウーロン茶のセットを買う間も無く劇場へ走り込んで、それ以降は、財布は取り出しても居ないのに、Bag の中に財布が無いとは、当に

『狐に摘ままれたような話・・・!』

と云うしか無いでは無いか・・・(汗)

 

 焦るジジイは、それでも、後ろに並んだ来館者に邪魔にならないように場所を譲って、ホールの隅の休憩ソファの処に行って、Bag をひっくり返して調べたが、目指す代物は、逃げて何処かへ往ったようで・・・?!

 

 

 モノは至って安物だから、誰かにくれて遣っても惜しくは無いが、肝心なのは、中身がー・・・(汗)

 

 落胆に肩を落とし、暫し思案に暮れたジジイが想うには、行き着く犯人は、やはり、

『最後に触った「セントラルシネマ」しか有るまい・・・?!』

との結論に達し、早速、連れ合いに蹴りを入れて、再度、午前中ご厄介になったEAONモールへとんぼ返り・・・!

 

 とは云っても、片道20分以上は優に懸るのだが、今は、そんなことなど云っては居られない・・・!

 

 折角、千載一遇の御縁を頂いた山下画伯の展覧会を観ずに帰るのは口惜しいし、時刻は、既に午後の2時半を越えて居るのだから、再度、此処に還り着けても、もう4時が近く為ることを考えると、釣瓶落としの秋の夕暮れでは、

『安宿(やさ)に還り着くのは、暗くなってからだなあ・・・!』

とは考えたが、此処で、折角の山下画伯を諦められないのがこのバカジジイの病癖なのも、自分でも快く判って居る訳で・・・(汗)

 

 焦りから、些か老人に似合わぬ二輪車転がしを試みながら、辿り着いて駆け込んだ『セントラルシネマ宮崎』の案内カウンターに殊の次第を申し上げると、心得顔の『美人(?)のお嬢様』が、奥の事務所から、プラスチックのトレーを持って来られ、

『この中に・・・、ございますか・・・?!』

と尋ねられたが、『ございますか・・・?!』どころでは無く、そのトレーの真ん中に、ジジイの安物財布が鎮座して、

『オマエ・・・、今頃気付いたのけえ・・・?!』

と云う、恨めしそうな眼で視上げて居やがった・・・(笑)

 

 早速、その『美人(?)のお嬢様』に、

『これです・・・!』

と持ち上げ、中に在るはずの免許証で本人確認をして頂くと、

『一応・・・、中身の方をご確認ください・・・?!』

と云われたが、免許証や数枚のカード類が入って居れば、後は、山下清展の『板垣退助様』が一枚入って居れば殊は足りるし、若し抜かれて居ても、キャッシュカードが戻って来れば、このモールの中のATMに走って、退助様一枚を吐き出して頂けば、後は、咎めるつもりも無かったが、中身も、ジジイの記憶と違わず残って居たので、ご丁寧に御礼を申し上げ、早速、エスカレータを駆け足で駆け昇って、再度、県立美術館へと、老人、危険運転・・・(笑)

 

 こう云う時、二輪車と云うのは、実に有り難いなあ・・・!

 

 歩道と、信号待ちで渋滞して居る車の間を、右側に居並ぶ車への接触だけ気を着ければ、徐行運転で、信号3回待ちくらいは、軽く一回で進めるのだから・・・(汗)

 

 で・・・、再度、4時若干前に美術館に駆け込み、板垣退助様一枚と引き換えに、観覧チケット一枚を渡して頂き、順路の数字に従い、然も、美術愛好家のような素振りで、他の観覧者の歩速に合わせてご観覧-ン・・・(汗)

 

 

 否ー・・・、それにしても、見事な展覧会・・・!

 

 山下画伯が、少年の頃描いたと云う鉛筆画から始まり、晩年のヨーロッパの風景まで、在るわ在るわ・・・!

 

 勿論、館内撮影禁止だから、証拠は一枚も撮れなんだが、観覧を終えた外に飾って有ったリトグラフ(=複製)なら撮影可と許しを頂いて、数枚・・・(汗)

 

 

 確か、『スイスの風景』とかの画名だったと想うが、下に掛けて在ったお値段を視て、ビックリ・・・(汗)

 

 

 とても、手が出ません・・・(笑)

 

 

 これは、誰でもご存知の『長岡の花火』だが、これは大小二種類在って、大きい方は、『11万円』となって居た・・・!

 

 山下画伯は、薩摩の桜島と開聞岳もお好きで、何度も訪れて描いて居られるとは、薩摩産まれとしては、実に嬉しい・・・(汗)

 

 

 これは、確か『66,000円也』と在ったが、やはり、手が出ないな・・・(汗)

 

 尤も、ジジイの安宿(やさ)では、若し買えても、

『飾る場所が、そもそも無いわい・・・!』

と負け惜しみを垂れながらの離館だったが、一つだけ、順路を辿って二つ目のブースに在った

『高射砲・・・』

と云う2号か3号くらいの小さな画には、その制作年が

『1938(昭和13)年・・・』

と在ったのだが、それを視た歴史探偵ジジイの脳が、

『そりゃあ・・・、おかしいだろう・・・?!』

と毒吐き始め・・・(汗)

 

(画像は、abc0120.net より拝借)

 

 だって、我がNippon 国が、先の大戦で敵国米軍の空襲を受けるようになったのは、早くても

『昭和17年以降・・・』

のはずで有り、それを西暦に直すと『1942年』となり、昭和13年には、勿論、中国とは大陸で陸軍戦を展開しては居たが、まだ、アメリカへの真珠湾攻撃(=1941年12月8日)よりもずっと前では無いか・・・?

 

 そう想うと疑問を確かめたくなる厄介なジジイは、側に座って居られた、歳の頃はジジイと然程変わらない監視役の女性に、

『チョッとお尋ねしますが・・・!』

と声を掛け、あの戦争時代の歴史講釈を垂れながらそのことを突っ込み、それを聴かれた女性係員を慌てさせてしまったが、困った女性の方が、主催者側の男性を連れに往かれ、二人で戻って来られても、お二人とも、ご説明は着かず・・・(汗)

 

 そりゃあそうだわなあ・・・!

 

 会場に居るスタッフは、この期間だけ雇われて居る人たちなのだから・・・!

 

 しかし・・・、添付して在る説明版には、何度も遣い廻した痕跡も有るのに、これまで誰も気付かなかっただろうか・・・?

 

 試しに、この企画展を6月に催した『SONPO美術館』の案内サイト、

美術展ナビ・・・

でも、この作品の説明書きは、

≪ 《高射砲》 1938(昭和13)年 貼絵 山下清作品管理事務所蔵 ≫

と為って居るから、公式な発表ってことだわなあ・・・?!

 

 描かれて居る画は、勿論、山下画伯の手に依るモノで有ることは間違い無いが、この辺りは、

『歴史との整合性が些か欠けて居るような・・・?!』

とは想ったが、まあ、何か理由が有るのだろうな・・・?

 

 てなことで・・・、肝心の財布を、けのふは、映画館に置き忘れて来るドジを踏んでしまい、結果、帰りの仕上げに予定して居た

『秋の温泉浸かり・・・』

のイベントは、もうすっかり暗くなった帰路では気分も乗らず素通りしてご帰還遊ばしたのは、午後7時10分也・・・(汗)

 

 道中、最後は雨粒も落ちて来たが、今回は、合羽着用まで行かない内に屋内退避が出来たから善かったが、陽の落ちた道中の峠越えは、些か寒かった・・・(汗)

 

 と云うことで、今回の『遣っちまった編』は、こんな顛末でしたが、敬愛する山下画伯の所蔵作品のほぼすべてが展示されて居るとのことで、改めて、この幸運に感謝して居る野暮天ジジイです・・・!

 

 イヤー・・・、やはり、山下画伯は、神の手を持つ大天才で有られたと、改めて想わされたが、こんなド田舎に居ながら、佳い眼の保養もさせて頂いた・・・!

 

 ジジイの毎度の情けない失敗談に、最後までお付き合い頂いて居りましたら、感謝申し上げます・・・(謝&拝)