まったく、この
『異次元の動きと遅さの台風6号くん・・・』
には、困ったモノだ・・・!
来るなら来るで、堂々受けて立とうと云うモノを、のらりくらりと進路は変えるは、歩き(=速度)は遅いはで、
『こりゃあ、来そうな・・・?!』
と、慌てて買い込み奔った喰い扶持を喰い果たす前になっても、まだ種子島の辺りをテクテク歩いて居ると云うし、進路が西側に逸れたから、東風に変わり、ジジイの安宿(やさ)の東窓は、僅かしか吹かない風と雨に曝されて、結果、蚊帳(=網戸)が役立たずの状態が、けふで二日目ってことは、その分、九州電力(=エアコン)に売上げ協力を強いられて居て、
『まるで、どっかの国の優柔不断内閣・・・』
と似て観えて、
『超、ムカツクわい・・・!』
って状態だが・・・(笑)
と・・・、ジジイのそんなムカツキを抑えてくれる
『嬉しいそよ風・・・』
が、けのふ(昨日)の永田町界隈では吹いたようで・・・(笑)
我がNippon 国の行政の総本山である『霞が関(=省庁街)』が、何やら
『地殻変動(=受験者不足)を起こして居る話・・・』
は、数年前から聴いては居たが、いよいよ、危険水域を越えたらしく、人事院の女性長官殿自らが、岸田殿に、
『チョッと・・・、何とかしてよ・・・!』
と直談判に及ばれたそうで・・・(笑)
その『人事院さん』も、所在地と身分は、他の省庁と同じ『霞が関族』だが、この『院』と名の着くお役所は、今のNippon国には二つしか無く、基本的に、
『内閣の権限から独立した行政機関・・・』
として位置付けられて居るのだが、人事院は、まだ内閣の管掌下に在る組織であるとも云えるが、人事院よりも格上の、
『会計検査院・・・』
と云うお役所は、完全に内閣からも独立し、その昔(=旧憲法下)は、
『天皇直属の機関・・・』
と位置付けられ、その証として、日本国の象徴たる天皇家の代紋とされる
『菊のご紋章(=疑似形)・・・』
を遣うことを許されて居る機関で、お名前の如く、
『国政の財布(=財政)のお目付け役・・・』
と云う、霞が関省庁族の方々には、時に、
『総理大臣より怖ーい存在・・・』
ともなる
『ソロバンで出来たような緻密なお役所・・・!』
と云っても佳い・・・(笑)
(会計検査院の紋章:画像は、会計検査院公式サイトより拝借)
ジジイが、まだド田舎役所に居た頃は、国庫補助事業を扱う事業課(=建設・農業系等)では、三年から五年毎に、
『会計検査・・・』
と云うお目付けが入る仕組みになって居て、県庁を通じて、
『検査のご指定・・・』
を受けたと聴くと、一気に課内に緊張感が走り、課長を筆頭に、その事業に当たった担当者は、書類の辻褄合わせや、無くしてしまって居る『文書類の偽造』に躍起になったモノだったが、今は、ほとんどがデジタル化されPCに保存されて居るから、下手な日付誤魔化しも出来なくなって、さぞや難儀をされて居るのだろうなあ・・・(笑)
その点、あの超アナログ(=手書き)の時代は、佳かったし面白かったなあ・・・(笑)
ご指名を受けて、慌てて誤魔化し拵えた書類は、まだ陽焼け(=変色)をして居ない新品用紙だから、それを、わざと外の陽に当てて変色させて、辻褄が合うような細工を、上からの命令で遣らされたモノだったが、これって、冗談では無く、本当の話ですぞ・・・(笑)
尤も、敵(=検査官)も然るモノで、そんな小細工など遠にお見通しなのだが、
『大勢に影響が無い・・・!』
となれば、多少以上のお目溢しも大いに有ったし、彼らは彼らで、『霞が関』から何日も日を費やしての長期出張中の身だから、地元のお偉方が、
『ようこそお越しを・・・!』
とのご機嫌伺いで催す『懇親会』なる名前の
『御接待・・・』
に、ホドホドに付き合い、美味しいお酒を呑んで高鼾で寝て居たしな・・・(笑)
これは、大いに余談だが、ジジイが居た昭和50年代半ば頃、何の奇縁か、ジジイの死んだオヤジの従兄弟なる御仁が、この会計検査院の或る部署の副長なる職に就いて居たらしく、ジジイは、その再(マタ)従兄弟なる御仁が、奇しくもジジイの役所の検査に入ると聴き込んで来た担当課長から、職務柄の関係も無いのに、
『お前も、懇親会に出ろ・・・!』
と命令を受け、訳も分からず
『夜の一席・・・』
の末座に座らされたことが有ったが、お相手様は、この若造ジジイを傍へ呼び、頻(しき)りにジジイの祖父やオヤジとの遠い昔の想い出話を語るのだが、当方は、そんなお偉い方が、我が親戚筋に居らっしゃるなど微塵も聴いて居なかったから、面映ゆいと云うのか尻がムズ痒いと云うのか・・・(笑)
ただ、ウロ憶えながら、祖父の亡くなった年の新盆に、そうしたド田舎には居そうに無い
『品の佳い御仁・・・』
が仏前に座られ、まだ生きて居たオヤジと懇談した後、ジジイの頭を撫でて下さった記憶は有ったが、それが、その検査官殿だったとは、その夜識ったことだった・・・(笑)
そんな話は、兎も角・・・!
ジジイの御接待が利いたのかどうかは識らぬが、我が役所は、その翌日の本検査では、
『一切お咎め無し・・・』
で終わったらしく、終いには、検査が終わった後の会議室にまで呼ばれ、その御仁から、
『東京に来たら、是非遊びに来い・・・!』
と名刺まで頂き、根が正直なジジイは、確かその暮れだったと憶えるが、早速、厚かましく霞が関の検査員に参内し、あの『菊のご紋章』の掲げられた古めかしい建物にお邪魔したことが有るが、あそこは、役目が役目だけに、誰でもが簡単に入れる場所では無く、国会議員会館と同じで、入り口で、住所氏名から訪問先の職員名まで記入させられるのだが、ジジイが、問い質す守衛さんに、貰った名刺を差し出すと、電話で確認しただけで、ほぼフリーパスで入れてくれ、呆気に取られたことを想い出すなあ・・・(汗)
(画像は、blog.workcloud.jp より拝借)
アレ・・・?!
けふのネタは、
『人事院の珍策嗤い・・・』
のつもりだったのに、まったく違った方向に逸れてしまったが、ジジイが云いたかったのは、今回、その『人事院長官』さんが、官邸の主の岸田殿に直談判された待遇改善策が、
『俸給の大幅Up & 週休三日制の導入の検討・・・』
とは、
『何とまあ芸の無いことか・・・?!』
と云う話で、そんなチンケ(=姑息)な策で、今の赤門(=東大)卒を筆頭にした、
『旧・帝国大学などに学ぶ選良(=Elite)たち・・・』
が、硬直化して久しい
『霞が関族(=総合職=キャリア官僚候補)・・・』
にチャレンジ(=受験)して来ると、本気でお考えなのだろうか・・・?!
そりゃあ、ジジイ等が幼かった50年ほど前までの秀才さんたちは、
『末は博士か大臣か・・・?!』
と持て囃された存在だったし、世間が、
『国家公務員・上級職・・・』
を視る眼と云うのも、誰でもは成れない存在として、
『畏敬の眼差し・・・』
を込めて視られたモノだったが、バブルの前辺りから、東大卒が、経済界で活躍する姿がメディアに持て囃され、露出度も注目度も、おまけに経済力も断然上がったから、あんな堅苦しく、年功序列に縛られ、云いたいことも云えずに、只管(ひたすら)前例を踏襲することを強いられる、辛気臭いお役所などと云う処に、
『進んで勤めたいと想う学生・・・』
が減って来ることは、当たり前の現象だったとは気付かなかったのか・・・(笑)
この一件を採って観ても、やはり、Eliteと云われるお方たちは、
『世の中(=人間の機微)が、観えて居らっしゃらない・・・!』
と云うことだわなあ・・・(笑)
昔は兎も角、今の民間大手企業など、年収一千万なんてザラに居るし、外資系などでは、二千万円、三千万円稼ぐ二十歳代、三十歳台も珍しく無い時代に、仇(あだ)や疎かに、親から貰った頭抜けて賢い頭脳を、あんなドス黒い処で、退職金と年金を目当てに、40年もコツコツ働く殊勝なメンタリティーの若者が、昔のようにウジャウジャ居る訳が無かろうに・・・?!
『週休三日制・・・』
だって、既に大手や外資系では実施して居るところだってたくさん在ると聴くぞ・・・?!
人事院さん(=永田町)も、いち早く、
『赤門(=東大)法科卒・霞が関官僚=No.1・・・!』
と云うメンタリティーから脱却されて、
『国家公務員は、国を担う一番尊い仕事だ・・・!』
と云う価値観を持つ若者を育てるような教育へと舵を切られ無いといけないと想うが、今の赤門卒官僚&世襲苦労識らずお坊ちゃまお嬢ちゃま議員さんたちでは、それに気付くのは大分難しかろうなあ・・・(笑)
途中、要らぬ寄り道をしてしまい、とんでもない長駄文を綴ってしまいましたが、若し、最後まで読んで頂いて居りましたら、深くお詫び申し上げます・・・(謝&拝)
アッ、そうだった・・・!
ジジイが綴った
『旧・帝国大学・・・』
とは、明治10年に、明治新政府が、全国の選良(=大秀才)たちを掻き集めて、優秀官僚促成栽培のために創った
『東京帝国大学(=現・東京大学)・・・』
を筆頭に、戦前、国内と外地に建てられた以下の大学を云いますので、念のため・・・(汗)
『旧・帝国大学=東京、京都、東北、九州、北海道、大阪、名古屋の国内7校と、戦前の占領地(=外地)に2校(京城、台北)の計9校・・・』
って、要らぬ講釈ですわな・・・(汗)