・ハイヒール登山・・・ | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 久しぶりの高千穂峰、ご来光登山完遂ゆえ、暫し、昔話を・・・(汗)

 

 このジジイが、初めてこの山に登ったのは、小学校4年生の時・・・!

 

 つまり、当年取って十歳の時である・・・!

 

 それも、一発目が『ご来光登山』と云う夜間登山だった訳だが、あの頃は、今のようなハイカラなHead Lamp など無く、National の懐中電灯が有れば善い方で、中には、勇ましい松明を掲げた猛者も居た頃だ・・・(笑)

 

 この十歳の洟垂れを連れて行ってくれたのは、母方の従兄弟だが、歳は、それこそ十歳ほども違う兄さんで、家が酒屋を営んで居たので、家業の手伝いの序でに叔母(=ジジイの母)の処に寄っては、脂を売って帰るのが常で、その正月明けの自慢話が、毎年、この『ご来光登山』の話だったのだ・・・。

 

 幼心にも、その自慢話に憧れたジジイに、

『お前が十歳になったら、連れて行って遣る・・・!』

と云う約束の十歳になった大晦日、約束通りにジジイを迎えに来てくれた従兄弟が転がす、商売用の

『HONDAのBenry 125cc・・・』

の後ろに乗せられ、従兄弟の背中を風除けにして向かったのだから、今年のジジイと同じだったことになるし、今と違って、防寒具も然程上質では無かったはずだが、心が弾んで居たからからだろうか、然程寒いと感じずに登山口に着いて、いざ出陣・・・(笑)

 

 尤も、あの頃は、今ほど登山熱(=愛好者)も高くは無かったから、そんなに混んで居た訳でも無く、登る前は、登山口に焚火も燃やされて居て、体を温めてから登り始めるのが、半世紀前は常道で・・・(笑)

 

 何せ、まだ自家用車を持って居る人が少なかった時代だから、山に来る人の多くが、Bike で

登って来る時代でも有ったしな・・・(笑)

 

(画像は、2017年元旦の『アマテラス』である・・・!)

 

 そうして、従兄弟に誘われて初登頂に成功し、従兄弟自慢のご来光を、確かに

『きれいだなあ・・・!』

と云う感懐くらいで眺めた記憶も有るが、事件は、そのご来光を拝んで、早々、登山者たちが引き返しの下山に掛かった矢先で起こった・・・(笑)

 

 今の山頂登山道と違って、当時は、まだ東側の厳しいガレ場(=石砂利路)の急斜面を降らなければならなかったのだが、その降り口から2、30メートルも進まない急斜面で、

『ワーワー・・・、キャーキャー叫んでいる女性三人組・・・』

に出喰わし、その横を通ろうとした従兄弟が、不意に脚を止め、

『どうしたんですか・・・?!』

と声を掛けると、その中の一人が、泣きそうな顔で、

『靴がー・・・!』

と云って、片方脱いだか脱げたかした靴を眼の前にぶら下げたのだが、何と、その靴が、ハイヒール・・・(笑)

 

(画像は、gahag.net より拝借)

 

 それを視た途端、如何な十歳の少年でも、殊の成り行きは容易に読めたが、その突き出されたハイヒールは、既に、ハイヒールでは無く

『ヒール折れ状態・・・』

になって居た・・・(笑)

 

 つまり、既に、ヒールの棒が折れたか取れたかして、着いて居なかったのだ・・・!

 

 此方も容易に事情を察した従兄弟が、先ずは、此処(=山頂)まで来た経緯を尋ねると、その三人の女性は、山麓に在る『霧島神宮』に、除夜の鐘早々の初詣に赴いたまでは佳かったが、中の一人が、

『初陽が観たい・・・!』

と云い出し、悪乗りした二人も同調しての

『闇夜登山敢行・・・!』

となったらしかったが、この高千穂峰と云う山は、登りよりも降りが何倍も難しい山で、登りは爪先掛かりだから何とか登れたが、降る段になったら、早速の御災難と相成ったと云う訳だ・・・(笑)

 

 そこまで聴いたジジイの従兄弟としては、此処は、

『薩摩の漢(おとこ)・・・!』

として放って措く訳にも行かなくなった・・・(笑)

 

 何の躊躇いも無く、自分が背負って居たリュックをジジイに、

『おまえは、これを持て・・・!』

と命令口調で渡し、自分の背中を、その女性の前に屈めて向ける仕種をしたが、ジジイも、その仕種で事情を察し、

『何と・・・、背負って降りるのかい・・・?!』

と想ったが、自分の身一つで降るのさえ、もの凄く気を遣わなければならないガレ場急斜面を、如何な細身(=に視えた・・・笑)の女性とは云え、大人の女性を背負って降りるのは、初心者十歳のジジイにも、その難しさは容易に推察されたが、従兄弟のその仕種に、

『これぞ、地獄に仏・・・!』

と想ったらしい女性三人組は、

『スミマセーン・・・!』

と甘え声で謝りながら、件のハイヒール片履き女性は、幾分遠慮気味に従兄弟の背中に身を預けた訳だが、その迷惑を蒙ったのは、この十歳ジジイで・・・(笑)

 

 初心者登山だから、

『荷物は、オニギリとセーターくらいで善いからな・・・!』

と云われて背負って来た軽いリュックに、従兄弟の大人用のリュックを背負わされた十歳ジジイも、謂わば、若い女性を背負って降りる従兄弟と、まったく同じような背面負荷状態と相成った訳で有る・・・(笑)

 

 後から考えれば、若い独り身男が、うら若き女性を背負える機会など、そうそう巡り合える機会など無かっただろうから、力自慢の従兄弟が、

『此処を先途・・・!』

と漢気を目論んだと想えなくも無いが、まだ十歳の洟垂れには、そんな邪推は、まだ到底働くはずも無く・・・(笑)

 

 

 当時のルートは、上の画の右側斜面からだった・・・!

 

 斯くして、何とか、中腹の『馬の背越え(=御鉢廻り)まで降り終え、背負って居たお姉さんを、一旦背中から降ろし一息吐いた従兄弟だったが、何せ、片棒ハイヒールとなったお姉さんは、結局、自分の脚で歩くなら、その片棒ハイヒールも脱いで、真冬の土の上を素足で歩かなければバランスが取れない訳だから、その歩き始めた不自然な姿を視て、それを佳としない漢気従兄弟は、そこからも、再度、その女性をずっと背負って、遂に、馬の背西側から始まる第二の岩場も、ずっと背負ったまま登山口まで辿り着いたのには、一緒に降るジジイは元より、追い越して降って行く登山者や、夜が明けてから登って来る登山者たちも、その珍景に驚きながら、

『ケガされたのですか・・・?!』

と心配顔の声を掛けながら行き交ったが、まさか、

『否・・・、実は、ハイヒールが折れて・・・!』

なんて云えるシチュエーションでは無かったわな・・・(笑)

 

 

 ジジイは、この山に、その後も二十回以上は登ったと想うが、登る度に、あの初挑戦の日の珍景を想い出して、ホッコリした気分になるのだが、それにしても、如何な家業が酒屋と米屋で、当時、60㎏ほどの米俵をヒョイヒョイ担いで居た力自慢の男だったとは云え、このジジイなら、我が子でさえ、負ぶってまで登りも降りもしたくは無いわな・・・(笑)

 

 で、だ・・・!

 

 これだけの大恩を受けた若い女性が、その

『漢の背中の有難さと体温・・・』

を忘れるはずも無く、我が従兄弟とこのお姉さんは、その後、非常に難しい紆余曲折(=親の反対等)の末、何とか夫婦の契りを交わすに漕ぎ着く目出度きを得、ジジイは、このお姉さんと、やがて義従姉弟の関係を頂くことになったのだが、

『高千穂峰にハイヒールで登った女性・・・』

と云うのは、その後、親戚中の語り種になり、その猛者姐御肌には、誰もが好感を抱いて居たし、それが話題になる度に、お姐さんが、恥ずかしそうな顔をする姿も、きれいだったわなあ・・・(笑)

 

 特に、小生の父や母などは、そのエピソードを手を叩いて喜び、両家の親たちが難色を示して居ると聴いたジジイのオヤジなどは、出しゃばって、お姉さんの実家に直々に乗り込み、説得(=お願い)に当たったらしいと、大人になってから母に聴いたが、そのお陰だったろうか、ジジイは、この義従姉弟姐さんからは、ずっと可愛がって貰ったわなあ・・・(笑)

 

 それもだが、成人した頃から霧島での山遊びに興じ始めたジジイは、山で女性と出会うと、つい、直ぐ足拵えに眼が行ってしまう癖が着いてしまって居るのだが、そこから数えても50年近く経つが、未だ、ハイヒールの足拵えの猛者女性に出会ったことも無ければ、話も一度も聴いたことが無いのは、少(ち)と寂しい気もしないでも無いから、誰かチャレンジしてくれないかなあ・・・(笑)

 

 尤も、その責任は、負わないが・・・(汗)

 

 そんなエピソードを宿した快男児の従兄弟は、家業の酒屋(=呑み過ぎ血筋)が祟って、還暦前に肝臓を患って早逝してしまい、ジジイの母が、

『焼酎が過ぎたからだ・・・!』

と云っては、ジジイに向かって

『あまり呑むなよ・・・!』

と戒めながら随分寂しがったが、ハイヒール猛者姐さんは、今でも、嫁いで来たその酒屋を独りで切り盛りして居るし、三代目も帰って来て居ると聴いて居るから、やはり、佳いお嫁さんだったわなあ・・・!

 

 世の男女の出逢いなんて、当に

『縁は異なモノ・・・、粋なモノとは、善く云ったモノだな・・・!』

と、この話を想い出す度に想う・・・(笑)

 

 ご来光登山序での、ジジイのつまらぬ郷愁駄文を読んで頂いて居りましたら、感謝申し上げます・・・(謝&拝)