・もう銀ッ杏・・・(汗) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 去る19日に、

『銀ッ杏・・・』 (=『イッチョウ』のつもり・・・汗』

などと云う恍けた駄文を載せた時の、

『ッ・・・』

の一字にお気づき頂いた方が居られたら、多分、

『このボケジジイは、指が滑ったまま、気付かずUpしたのか・・・?!』

とお笑い頂いて居たかも識れないが、実は、然に非ず・・・(汗)

 

 けふの、このネタ(=タイトル)のための

『前仕込み・・・』

で有ったと云うところを、ご覧頂きたく、狙って居た訳で・・・(笑)

 

 などと、独り、悦に浸って居るが、元を糺せば、その幾日か前(=14日)に、現在、宮崎市で秋季キャンプを張って居る

『福岡ソフトバンクホークスの甲斐Cannon・・・』

を見物がてら、国道10号線を走って居て、宮崎市の手前の

『旧・高岡町(=現・宮崎市高岡町)・・・』

に入って直ぐに、斯様な案内板を眼にし・・・(汗)

 

 

『ムム・・・、そう云えば・・・⁈』

と想い兆し、慌てて寄り道を決め込んだのだったが、この案内板は、これまでにも、数え切れないほど眼にして来たのに、お恥ずかしながら、未だ、一度もお眼に掛かって居ないのは、ジジイとしては、些か迂闊の誹りを免れない故、

『ウム・・・、これは、佳い機会(=時季)・・・!』

とほくそ笑んだのだが、当の大銀杏殿は、未だ、斯様な元気の快さだった訳で・・・(笑)

 

 

 何せ、列島最南部と有っては、銀杏の葉を黄色く染めるには、まだまだ朝夕の気温の下がりが足りなかったようで、

『見事な黄色葉の佇まい・・・』

とは行かず、ジジイをガッカリさせてくれただけだっただけだったのだが、その間に、同じ宮崎県でも最北部のえびの盆地の

『飯野の大銀杏・・・』

の方が、二足ほど早く色を染めてくれて、それをTVで識ったジジイは、バカ丸出しで、

『一ッ走り・・・!』

を決め込んだのだったが、あのネタを載せるに当たってのタイトルが、けふ(今日)のこのネタを当て込んでの、『一丁・・・』に引っ掛けた

『銀ッ杏(いっちょう)・・・』

だった訳だ・・・(汗)

 

 相変わらず、

『前振り(=云い訳)・・・』

が長いわなあ・・・(汗)

 

 要は、このお色直しには程遠かった大銀杏殿が、ここ数日の冷え込み具合で、

『そろそろ、二丁目になったのでは・・・?』

と心配したジジイは、けのふ(昨日)の雨模様を逃げて、今朝の寒さに恨み節を溢しながら、再度、10号線を宮崎方面へと連れ合いを転がして視た・・・(汗)

 

 結果、けふの大銀杏殿は、斯様なお色気を宿して、お出迎え頂いて・・・(笑)

 

 国道を入って、過疎で廃校になってしまった『猿川小学校』の校庭の前を過ぎると、直ぐ真正面に、周囲の杉の濃い緑色の山肌の中に、一際も二際も目立った黄色い巨樹が一本だけ、

『俺が、去川の大銀杏だ・・・!』

と云わんばかりの存在感で、際立って目立って居る・・・!

 

 

 なるほど・・・、これは、見事な染まり具合だ・・・!

 

 10日ほど前の時と同じような角度からも眺めさせて貰ったが、全然違う眺めだわなあ・・・。

 

 

 

 いかん・・・!

 安物カメラのレンズに、何か附録(=ゴミ)が着いて居たようで・・・(汗)

 

 この大銀杏・・・!

 

『樹齢は、八百年・・・!』

と案内して有って・・・(驚)

 

 

 つまりは、先日の

『一丁目(=飯野の大銀杏)の倍・・・』

の長生き巨樹と云う訳だ・・・!

 

 少し、勉強をさせて貰うと、何と、昭和10年12月24日に、

『国指定天然記念物・・・』

にも指定されて居るのだそうで・・・!

 

『これはこれは、お見逸れ致しました・・・!』

と云う恥じ入るばかりだが、お勉強に依ると、

『雌樹・・・』

なのだそうで、秋には、多くの実を着けるとも有った・・・!

 

 

 植えたのは、誰有ろう、

『島津藩・初代藩主(=忠久公[1179~1227年])・・・』

だとも有るから、

『由緒正しき銘樹・・・』

だとも云うべきか・・・!

 

 と云うのも、この去川は、南九州を納めた島津家が、江戸時代まで、太平洋(=日向灘)から、水運を利用して物流を行う為に、

『去川の関所・・・』

を置いて居た場所で、此処までを、

『大淀川・・・』

の水運で遡って来て、此処から、狭隘な山峡に路を開いて、都城から大隅・福山へと辿って、錦江湾を横切って、現在の薩摩・鹿児島市へとの

『物流の拠点・・・』

とした地でも有った歴史を、有するのだ・・・。

 

 折角だから、寒かったけれども、帰りに、チョイと、その関所跡にも降りてみたが、今は、その船着き場跡らしき平地が残るだけで、掲げて在った案内板も、いつ掲げられたのか、字も上手く読み下せないほど、白んで居るだけで・・・(笑)

 

 

 序でに、15メートルほどしか離れて居ない『大淀川』の河岸までの竹藪を、笹を掻き分けて強引に入ってみたが、今の水量の少なさでは、

『此処まで、舟が昇って来れたか・・・?!』

と云うほどの流れにしか視えなかった・・・。

 

 

 

 まあ、古の舟着き場の面影が、

『無きにしも非ず・・・』

かな・・・(笑)

 

 それにしても、外気温15℃ほどの寒さの中を、往復2時間、鼻水を垂らしながら、まったく、

『物好きなジジイ・・・』

で有ることか・・・(汗)

 

 でも、何とか

『ッ・・・』

が、指の滑りと確認忘れでなかった目的は、果たせたかな・・・(笑)

 

 けふもまた、こんなバカBlog にお付き合い頂いて居りましたら、深く御礼を申し上げます・・・(謝&拝)