・君が代さん・・・(1) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 大相撲の千秋楽、「結びの一番・・・」が終わった後の、優勝力士表彰式の冒頭の「国家斉唱」の光景を観る度に、独り、心の中で苦笑する想い出がある・・・。

 

 それは、我が人生を遡ることもう三十数年前、この哭檄が、まだ若さに任せて、夜の「ネオン街・・・」を毎夜の如く徘徊していた頃のことである。

 

 その頃、既に夜のネオン街の店々での酔客の「おもり・・・」の主役は、「綺麗ドコロ(?)」のお姐さんたちではなく、専ら「カラオケ」なる珍奇な「オーケストラマシーン」が「全盛・・・」になっていた。

 

 鹿児島の夜の代表格「天文館」もご多聞には漏れず、界隈数百軒(あの頃、その数三百軒(?)とも云われたが・・・)のほとんどが、この「おもり役」を導入しており、入る店入る店の何処でもが、ドアを開けると必ず顔を朱くした先客たちが、自分の歌声に酔い浸(し)れて、その「美声・・・(?)」を張り上げてくれていたものだった。

 

 新客の訪いに、咄嗟の条件反射で

「あら!、いらっしゃーい・・・!」

と、媚びた嬌声で迎えてくれたお姐さんに案内されたボックス席に座ると、呑み物のオーダーの次に渡されるのは、定(き)まって分厚いカラオケの歌詞本(歌詞がモニター画面式になる前は、そうだった・・・)。

(後に「曲名本・・・」になり「番号・・・」を叫んでいたが、今は「手元・・・」で入力オーダーするようにまでなったから、カラオケの「進化・・・」はもの凄い・・・)

 

「常連面・・・」して入って来た「オジサン・・・」たちに、横に座った「綺麗ドコロ・・・?」のお姐さんの

「よろしかったら、何か歌って・・・?」

の甘声&媚態が寄り掛かると、店に入る前から鼻の下を伸ばし切った「オジサンたち・・・」は、早速、分厚い冊子を捲り始め、誰も彼もが「十八番(おはこ)の発表会・・・」に興じる始末となるのだった。

(今も、この構図は些かも変わっていないが・・・)

 

 誰かが一曲歌い終わる毎に、お姐さんたちの「お義理の拍手・・・」が、これも如何にも「条件反射的・・・」に鳴り、歌った客の横(或いは前・・・)のお姐さんたちの

「とってもお上手ー・・・!」

と云う「お上手」を真に受けた「オジサンたち・・・」は、折角高いお金を払って呑むはずの「お酒・・・」を呑むのも忘れて、またせっせと次の「十八番」を探すべく、厚い歌詞本を睨み捲る・・・。

 

 斯く嗤うこの哭檄も、そんな「酔客・・・」の一人と化して、せっせと歌詞本を捲っていた一人だから、他人のことを嗤えた話ではないのだが、そんな或る日、生来の「茶目っ気の虫・・・」が兆した哭檄は、ふと、

「この歌詞本に載っていない曲を歌って、店に居る御同輩や化粧化けした『綺麗ドコロ・・・?』たちを驚かせて、序(つい)でに笑わせてやろう・・・」

と考えた。

 

 だが、この発案が、案外難しい・・・。

 何しろ、懐メロから当世流行りのヒット曲まで、そのほとんどを網羅している「日本のカラオケ・・・」に対抗して、そこに「載っていない曲・・・」など、既にほとんど想い浮かばない・・・。

 しかも、そこに「他人を笑わせる・・・」と云う「オチ」を着けるとなれば、店内の

「誰もが識っている曲でなければならない・・・」

という高いハードルが横たわる。

 

 ここで、「歌詞本に載っていないから・・・」という意気込みだけで、粋がって誰も識らない洋楽などを唸ろうものなら、「ドッ白け・・・」の空気を醸し、

「何を粋がって・・・!」

と白眼を剥いて嗤われるか顰蹙を買うだけの「ド醜態・・・」を演じるだけである。

 尤も、根っからの野暮天男には、鼻っからそんな洒落た素養など更々備わってもいないから、そもそも「歌えない・・・」のだが・・・(汗)

 

 さて、そこで暫し沈思黙考した哭檄は、ハタと妙案(名曲)を想いつき、思わずほくそ笑んだ・・・。

 

有るではないか・・・、歌詞本には絶対に載ってなくて、店の中の全員が、誰もが必ず識っているし歌える「名曲・・・!」が・・・。

 

 そう、日本人なら誰もが必ず識っているし、必ず聴いたことがあるし、一度や二度、否、何回も何十回も歌ったことがある気高い名曲・・・。

 そう、「国家、君が代」である・・・。

 

 この「妙案・・・」に想い到った哭檄は、徐に、隣に居たお姐さんに、

「次は、僕に歌わせて・・・」

と告げると、

「何の曲・・・?」

と条件反射で応じたお姐さんに、含み笑いを込めた顔で、

「否、歌詞カードには無い曲だから、マイクだけ貸して貰えばいいです・・・」

(今だったら、「アカペラ」なんて洒落た云い方も識っているが・・・)

と云うと、姐さん、一瞬怪訝な色は見せたが、そこは、まあそこはそこそこ(と想っているのは自分だけだが・・・)歌い熟(こな)す哭檄の「実力・・・?」を弁えているだけに、その「含み・・・」を察して快く「順番」に入れてくれた。

 

 さて、数曲の「前座(失礼な・・・!)」が終わって、いざ我が順番となってマイクを渡された哭檄は、やおらその場で起立すると、「東海林太郎さん」(と云っても、もう識っている人も少ないだろうが・・・?)ばりの「直立不動・・・」の姿勢で、開口一番、威厳(のつもり・・・?)を込めた低音を発して、

「きーいーみーいーがーあーよーおーはーあー・・・」

と唸って見せたのだ。

 

 一瞬、店内の空気が、「???!!!・・・」と止まったのを、哭檄は、「快感・・・」で捉えた。

 悪戯の嵌った時の、あの「快感・・・」である・・・。

 悪戯好きにとって、この瞬間こそ、

「た・ま・ら・なーい・・・!」

瞬間なのだ・・・。

 

 店内の「オジサン・・・」たちは元より、厚く塗ったお化粧に「素顔・・・」を覆ったお姐さんたちも、哭檄のこの行動と「歌声・・・」に、咄嗟にはどう「反応・・・」して善いんのかが掴めず、かと云って「御唱和・・・」に倣うほどの「気働き・・・」にも及べず、ただ眼を「点・・・」に泳がして、哭檄の「美(?)声・・・」だけを無理やり圧し付けられての、「暫し茫然・・・」を繕うしか態が無かった・・・。

 

「こーおーけーえーのーおーーむーうーすーぶーまーあーーでーー・・・」

と唸り終え、畏まった顔で恭しく一礼して座った時の、あの束の間の静寂とそこに漂う「戸惑いの空気・・・」が醸す「快感・・・」を、哭檄は、三十数年経った今も鮮やかに想い出す・・・。

 

 そして、数秒(否、一、二秒)経った後の、それぞれの驚嘆と戸惑いを綯交ぜにしたような複雑な顔での拍手と笑い・・・。

 我が「目論見・・・」は、見事に嵌ったのだった・・・。

 

(つづく・・・)