・父性の復権・・・(後記) | 日本哭檄節

日本哭檄節

還暦を過ぎた人生の落ち零れ爺々の孤独の逃げ場所は、唯一冊の本の中だけ・・・。
そんな読書遍歴の中での感懐を呟く場所にさせて貰って、此処を心友に今日を生きるか・・・⁈

 やっと、何とか「始末」を着けることが出来、ホッとしております。

 

 分不相応な「ネタ」に軽々と手を着けてはいけない・・・という善い「教訓」になったと、今は、つくづく実感する次第です。

 

 それでも、全編を通して「いいね!」を押してくださった「秀雄のブログ」さんには、この場を借りて心から御礼を申し上げます。

 こんなダラダラ長ったらしいだけの拙文を、気に掛けて頂いただけで、本当に有難かったです。

 

 綴りながら幾重にも、自分独りの「悦」を人様に押し付けることへの「不徳」を恥じ入っては来たのですが、日頃自分がずっと心に抱き続けて来た「想い」だっただけに、この際、何とか一応の「締め」までは辿り着かせようと励まして、漸く近場の港までは辿り着かせたかな・・・?と想っております。

 

 拙ブログ掲載中に、折からあの「目黒幼児虐待致死事件」が報道されたのでしたが、被害者の優愛(ゆあ)ちゃんのあの愛らしい笑顔の画を見た瞬間、自分の中に起きた「怒り」は、一週間が過ぎた今でも鮮烈に心に蘇ってしまいます。

 

 また、その直ぐ後に起きた新幹線車内での「惨殺事件」、或いは一昨日に起きた静岡藤枝市の看護師強殺事件にしても、このような非道が、昨今は余りにも茶飯に起きているような気がしてなりませんが、そういう事件を起こす「男たち」の情緒の根底に、幼少期の「父性の欠落」に依る発育、形成の偏りが有はしなかったのか・・・?と想え、そう考えれば、云わば彼らもまた「可哀そうな社会の被害者」でもあるように想えてなりません。

(無論、その犯した行為に措いて、彼らを擁護する気持ちは更々ありませんが・・・)

 

 このような殺伐とした社会が形成された原因を考察すると、社会、政治というシステムが先に上がるのか、将又それを形成する人間を育む「家庭」即ち親の側にその因が先に在るのかは、卵が先か鶏が先か・・・の論に陥って、漸(ようよ)う解を得るには辿り着けないのですが、それでも、自分たち一人一人が、その立場立場でそれなりの「責任(=使命)」を負って、その責を果たすしか無いのだろうと想います。

 

 今や、既にその任も責も果たし得る立場と場所からは弾き出された落ち零れとは云え、落ち零れ故の経験(失敗談)を通して、これからを担う若い世代に、少しは「標」になる愚痴を垂らし続けさせて頂こうと想っております。

 

 ご通読、本当にありがとうございました。

 

Ben爺 拝