最近、立川義喜さんの胎動っていうアルバムに入ってる「げんげぐらし」っていう歌を時々思い出す。
ひとり暮らしがげんげなら
ふたりぐらしは綱渡り
っていう歌詞だったと思う。
今さ、うんと年取って我にかえったら、びっくりするような環境と状況になっててね、自分のこの目で、この体でいろいろ選択して生きてきたんだけど、あらためて今立ってる足元みたらね、まさしくげんげよげんげ。
止まったら倒れそうで、でも体力無いから今にも尻もちつきそうで、でもぴょこぴょこ飛びながらどうにか耐えてる・・的な。
自分が自分だと思ってる自分はもうどこにもいなくなっちゃったって、気づいちゃってね。
でも頭の中も心の中も、見てる自分は自分だとずーっと思ってる自分の姿なわけだから、この日常生活にあちこちほころびが見え始めても、一過性のモノで心配ないとか、勝手に判断しちゃって、行動も思考も変わってないと思いたいから、生活全般を習慣的にこなそうとするんだけど、できなくなってきてる。
わたしは自分が目指してる場所に行くことを恐れず、一本の軸をしっかり携えて進んでいくんだって思ってた。
どんどん変わっていってもっと高みに行きたいって思ってて、何が起きても絶対の乗り越えて新しいまだ見たことも体験したこともない次元に行くんだ!って信じてた。
だから自分の中身は、自分の志は変わらないって思ってた。
でもさ、それって、ただの思い込みの執着かもしれんよね。
自分自身「無」なりたいとか「ゼロ」になりたいとか「丸裸」になりたいとか、ぐちゃぐちゃ言いよったくせに、自分ってものはこうなんだとか、めんどくさい信念みたいなもんを持ち続けようなんて、頭がおかしい(笑)。
先に先に進むことを厭わない。
だけど、自分のエナジーも肉体も変わっていくことな否めず、反対に抵抗を生み出してたんやないかってね。
もっと柔軟でええのに。
頑張らんかて、行く先はかわらん。
ただ行き方やら、途中で会うもんが想像をはるかに超えたもんしか出会わんくなっとるだけの話やんね。
今まで見たことも触ったこともない、未知の世界に行ってみたいと思っとっただけ。
そんで、それはもう目の前に現れとるってだけ。
心療内科に定期的に通いだしてもうすぐ一年になる。
途中、先生とのトラブルで転院して今2軒目の病院。
診断名も一軒目と二軒目では違っていた。
一軒目の先生は結構暴言を吐いて患者を泣かせるタイプの人。
私は泣いてないけどいきなり怒りだして、「怒ってます?」って言っちゃったもんだから先生もう止まらなくなって真っ赤な顔してツバ飛ばしながら怒り出した。
おかげで我に返れたんだから感謝なんだけどね(笑)
今はわたし的には薬も飲んでないしもう症状も何もないと思ってるから、行く必要性を感じてないけど、生存確認ってことで、暇つぶしに行って、先生と冗談言いあって帰るをここ半年繰り返している。
だけども、ちょっとしたきっかけがあってて、今までのバランスが一気に崩れた。
で、初めて先生に助けを求めた。
今までエナジーワークとかあれこれいろんなメソッドをジプシーしてきたからいろんなツールは持ってるんだけど、今回はどうにもならんかって。
そもそも自分が精神障害を持っているとか、思っていないわけで。
変ちゃ変だけど、個性っちゃ個性でしょ、みたいなね。
あとは性格とか資質とか、能力とかさ。
チャネリングとかリーディングとか、予知とかいろいろな第六感的なね、見えない存在と話ができちゃったりとかさ、特殊能力っていう人もいれば気が狂ってるおかしな人ってみられたりもあるよね。
わたしは、そういう不思議な世界にいて、そういう世界が日常だったから、心療内科的な相談やら治療やらは必要ないと思ってきた。
睡眠薬とか絶対にいらないと思っていたし。
昔マクロビの人たちとそうでない人たちとお伊勢さんに行ったときに、「鰹節のだしのつゆは食べないのでうどんの麵だけください」っていうのを聞いて意味が分からんばいって思ったことあったけど、ちょっと似てるかも。
だから最初に心療内科に行こうって思ったときは、相当くたくたでボロボロで、思考じゃなくてエナジーで動いた結果で、あたまのなかは「なんで行くんだ?」って思ってた。
インスピレーションっていうかね、必要なことしか起きんからね。
心療内科に行こうと思ったその数か月前に突然体に痛みが走って身動き取れなくなってしまって、頚椎腰椎胸椎に計5か所の骨がつぶれていた。
それによって人生全てが変わってしまったわけだけど、よくよく考えたら全部自分が描いていた生き方をする道に軌道修正された。
でもね、慣れんのよ(笑)
話は戻るけど、自分は正常だと思っているもんで、自分の違和感もエナジーが変わったんだくらいにしか思わんもんで、それは許容範囲内な出来事だからって、クリーニングしたりリーディングしたり、エナジーこちょこちょしたりして対処法を探ったりしてたけど、今回は何かが違うんよ。
説明ができんのやけど。
でも今回のことが大きな何かのきっかけになるっていうことだけは知ってるというかわかってるというか。
だけんね、諦めたんね、いい意味で。
それがなにかはまだ見えないしわからないけど、ひとまず思考もエナジーも横によけて、あるがままの自分をゆっくり味わってみようかと思ったので、その記録というか整理するための場所というかでこのブログを書き始めることにしたわけです。
60過ぎのADHDと双極性障害の2本柱(って今の先生は言い切っている笑)で、見えない存在達と日々コミュニケーションをしながら生きているおばちゃんのひとりごとです。
どうぞよろしく♪