アメブロ…

まだまだよく分かっていないけど、
文字の入力だけは分かるので、
とにかく書いておこう。

いろんな方向に脱線…

…いろんな社会勉強をしながらも、
ず~っとチマチマ絵を描いていた私。




思春期に、
コンクールで貰った賞状を全部燃やして、

「どうせ誰にも理解されないし、才能も無いんだからこんな無駄な作業にもう時間は割かない!!!」

…と、

怒りにも似た絶望で、
誰かが選んで誰かが見てくれていたはずの絵に対する評価を、

灰に変えた私。

でも、最初から額つきで渡された賞状や、楯は燃やせなかった私。

私の中ではとても悲しくて辛い思い出だったのだけれど、
今となっては、どっちでも良かったことだと思える。

確かに、

「絵を描くことをやめる!」

と決めた日の行動だったのだけれど、

「自分の手で燃やす」

という行為は、
明らかに大切なものに対する特別な思いで…
ただのパフォーマンスでしかない。
家族がいないときに、
あくまで自主的に、
なのに実家の庭のドラム缶の中で、
「私は辛いです。」
と言わんばかりに、
煙をあげていたに過ぎない。

ゴミの日に処分場で焼かれたくなかっただけだ。

あれはやめる為の行動ではなかった。

「額つきで無いもの、入選、特選止まりのものでは本物になれないのだから、全部いらない。そんな私もいらない!」

と、よく分からない自分ルールが爆発した瞬間だった(笑)

結果的に、そんな小さな個人的爆発で、
何か精神的な安定や、
楽しいお友達との
楽しい学校生活が始まる訳ではなく、

むしろ全く逆で(;´∀`)

一番好きなことを、
自らの手で封印し、
自分に自信が無くなり、
他人の興味にも興味を持てず、
別人のように暗くなり…

結果的に、
「地味で友達がいない系なイメージ」
の、絵を描く作業をやめてからのほうが、
とんでもなくネクラで卑屈でひねくれた、
なのになかなかそんな気持ちを表現できない、

「貝殻から出て来ないヤドカリ」
のような、そんな思春期だった(笑)

周りからどう思われていたかはよく分からないけど、
賞状メラメラ事件の以前の、
小学生の頃のアホっぽいお笑い系バカな私を知る人物は結構少ない。
(なぜか当時志村けんが大好きで、卒業写真は友達とあイーんしているし、変顔が得意だった✨と、自分では思っている。)

メラメラ事件からの、
ヤドカリ立てこもり事件までの期間…

たったの数ヶ月である。

たったの数ヶ月、
「絵を描くことをやめる」
「絵を描くことをやめて新しい友達を作る」
これができずに、
ひどく長い間貝殻に立てこもり続け、
自分を傷つける生き物を避け、

その結果とてつもない孤独に襲われ、

徐々に外を覗くようになり、

同じようなヤドカリはいないかと探してみたりもするが、

結局、自分と同じようなヤドカリは自分の姿を見せないので、到底分かりあえる訳もなく…

そんな…

広い海の中では誰にも認知されないような、
命がけの「立てこもり」を続けていた。
取り出して食べる何かがいるわけでもなかったはずなのに。



そもそも、「立てこもり」していた環境が、
「家」や「学校」だった。
守って貰える場所なのに、
殻から出てこないのだから、
周りからしたらどうしようもない。
煮るなり焼くなりしないと、
顔を出さない。
めんどくさいヤドカリ人間(笑)

殻に籠ると聞くと無表情をイメージする人も多いかと思うが、
最大の防御こそが笑顔である。
爆笑しない、
可哀想に見えない笑顔が得意になる。

そんな地獄の10代を経て、
激動の20代を、
そろそろ終わりにしようかという年齢になってきた今、

心底30歳が楽しみで仕方がない。

秋に2歳になる娘を笑わせる為に、
昔得意だったような気がする、
変顔にも更に挑戦していく所存である。

ヤドカリを捕まえてみた経験がある人には分かるかもしれないが、
捕まえてみて、
「貝殻だったのか?」
と思いきや、
手放したとたんに、
「サササササ~!」
っと急に走り出して、
すぐにいなくなってしまう。

どんなにちっぽけな中身でも、
段ボールみたいな殻だったとしても、
ヤドカリ期は決して無駄ではない。

風景画について書きたかったのに、

ヤドカリばかり出てきたから、

この記事のタイトルはヤドカリにしよう(^-^)v🎵