2月2日
珍しく、今稽古している舞台に関することでも書こう。今回の作品は、比較的アドリブで放たれる台詞が多い物ではあるのだけれど、稽古を繰り返していくうちに大体固めていっている、というのが正直なところだ。けれど、それでも毎回違うことを言っている箇所もあるわけで、そういう箇所は瞬発力で返して、且つ面白いとなおいい。けれど、いかにもアドリブですよ、という風にはばれたくは無いのでやっぱり、さらりとやっつけてしまうのがエレガントだ。ところが、上手くさらりとやると観客にアドリブだと気づかれないという事だから(当たり前だ、そうしているのだ)、面白いとは思われても、あの役者すごいな、とはならない。アドリブは観客がアドリブだという前提で見ていなければ、どんなに切れのいい台詞を言っても得にならない。それでもいい、得をしよう、とは思っていない(本当はちょっと思っている)。あの役者すごいな、と思われたいわけでもない(本当は割と思っている)。だけど、ちょっとだけ役者として言わせてもらえれば、アドリブって損だな、と稽古をしていると思う。たまに。
仙川、『青木さん家の奥さん』稽古
珍しく、今稽古している舞台に関することでも書こう。今回の作品は、比較的アドリブで放たれる台詞が多い物ではあるのだけれど、稽古を繰り返していくうちに大体固めていっている、というのが正直なところだ。けれど、それでも毎回違うことを言っている箇所もあるわけで、そういう箇所は瞬発力で返して、且つ面白いとなおいい。けれど、いかにもアドリブですよ、という風にはばれたくは無いのでやっぱり、さらりとやっつけてしまうのがエレガントだ。ところが、上手くさらりとやると観客にアドリブだと気づかれないという事だから(当たり前だ、そうしているのだ)、面白いとは思われても、あの役者すごいな、とはならない。アドリブは観客がアドリブだという前提で見ていなければ、どんなに切れのいい台詞を言っても得にならない。それでもいい、得をしよう、とは思っていない(本当はちょっと思っている)。あの役者すごいな、と思われたいわけでもない(本当は割と思っている)。だけど、ちょっとだけ役者として言わせてもらえれば、アドリブって損だな、と稽古をしていると思う。たまに。
仙川、『青木さん家の奥さん』稽古