下記にも書いたパーティで”キレなかった14才”について演出家と宮沢章夫さんとのトークがあった。トーク自体はグダグダだったので、中身には特に触れないけれど。この世代に関して少しだけ感想を書いておこうかと思う。
感想と言うか、僕にとっての一つの結論というのは出ていて、みんなはどう思っているの?と言う感じか。というのも、当時、あの事件(1997年の神戸連続児童殺傷事件)に熱中していたのはマスコミと一部の大人だろう。マスコミについては過度にやりすぎている感はあったけれど、いつもの事ではあるので深く触れない。ここでの大人というのは、遊びやゲームは子供のする事だと考えていて、かつ現実にまるでゲームみたいな出来事が起きて、これなら熱中しても馬鹿にされないし、世相を憂える立派な大人だと言う証、口実を見つけて喜んでいる人たちの事だ。子供は、ゲームを現実に持って来ちゃったりして、馬鹿だなとか思っていた。僕はそう思っていた。だから、犯人は凄く真面目で計算も出来るけれど、少し想像力が足りなかった(そんな事したら捕まる、とかそういう想像力ではない、念のため)、普通の人だ、と今でも変わらず思っている。戦車の玩具で遊ぶと人を殺すようになる、なんてナンセンス以外の何者でもない。
マスコミは、事件の低年齢化や凶悪化を憂いているけれど、本当にそう思っている人がどれだけいるだろうか。僕は今の時代が好きだし、この先はもっと好きになるだろう。昔よりも、便利だし、快適だ。出来る事もやりたい事も増えた。事件に関しても、昔に比べて遥かに安全になったと思うし、内容もソフトになっていると感じる。低年齢化なんてしていない、そう変わらない。だから僕は、それなりに楽しく生きているし、昔は良かったなんて押し付けるのは、自分の思い出の中だけにしてしてほしいと思う。
そういえば、中学生くらいから考え方はもうほとんど変わっていないな、これくらいの事は考えるしそういう物が固まっていくのは、確かに中学生くらいだ。
12月25日
今日は、「キレなかった14才リターンズ」のキックオフパーティ。千駄ヶ谷のloop-lineへ。場所と比較してとても人数が多い。僕は人の多い場所に加えて、演劇人の多い場所はさらに苦手だ。でも、楽しかったと思う。苦手なのに楽しめるなんて、自分を褒めてやりたい。clubに行きたくなった。
作:テリー・ファリッシュ 絵:バリー・ルート
『ポテト・スープが大好きな猫』訳:村上春樹 読了
感想と言うか、僕にとっての一つの結論というのは出ていて、みんなはどう思っているの?と言う感じか。というのも、当時、あの事件(1997年の神戸連続児童殺傷事件)に熱中していたのはマスコミと一部の大人だろう。マスコミについては過度にやりすぎている感はあったけれど、いつもの事ではあるので深く触れない。ここでの大人というのは、遊びやゲームは子供のする事だと考えていて、かつ現実にまるでゲームみたいな出来事が起きて、これなら熱中しても馬鹿にされないし、世相を憂える立派な大人だと言う証、口実を見つけて喜んでいる人たちの事だ。子供は、ゲームを現実に持って来ちゃったりして、馬鹿だなとか思っていた。僕はそう思っていた。だから、犯人は凄く真面目で計算も出来るけれど、少し想像力が足りなかった(そんな事したら捕まる、とかそういう想像力ではない、念のため)、普通の人だ、と今でも変わらず思っている。戦車の玩具で遊ぶと人を殺すようになる、なんてナンセンス以外の何者でもない。
マスコミは、事件の低年齢化や凶悪化を憂いているけれど、本当にそう思っている人がどれだけいるだろうか。僕は今の時代が好きだし、この先はもっと好きになるだろう。昔よりも、便利だし、快適だ。出来る事もやりたい事も増えた。事件に関しても、昔に比べて遥かに安全になったと思うし、内容もソフトになっていると感じる。低年齢化なんてしていない、そう変わらない。だから僕は、それなりに楽しく生きているし、昔は良かったなんて押し付けるのは、自分の思い出の中だけにしてしてほしいと思う。
そういえば、中学生くらいから考え方はもうほとんど変わっていないな、これくらいの事は考えるしそういう物が固まっていくのは、確かに中学生くらいだ。
12月25日
今日は、「キレなかった14才リターンズ」のキックオフパーティ。千駄ヶ谷のloop-lineへ。場所と比較してとても人数が多い。僕は人の多い場所に加えて、演劇人の多い場所はさらに苦手だ。でも、楽しかったと思う。苦手なのに楽しめるなんて、自分を褒めてやりたい。clubに行きたくなった。
作:テリー・ファリッシュ 絵:バリー・ルート
『ポテト・スープが大好きな猫』訳:村上春樹 読了