12月14日
大阪での最後の日。大阪市立美術館の『国宝 三井寺展』に行く。場所は天王寺公園の中なので通天閣がよく見える。たまにみると、大げさなフォルムが面白い。それほど背は高くないのになかなかの存在感。周りの建物が高く無いからではあるけれど。建物が高くないので、空が広くて気持ちがいい。正確には、空はいつだって同じ広さだけれど、目に見える部分が大きいということ。
空もそうだけれど、目に見えるということは、それだけ大きさが限定されてしまうということだ、もし空が全く見えなくて、空の存在を知っていれば、空は限りなく広いだろう。それが、想像力というものだ。想像力とは、どこか抑圧されているからこそ、沸きあがってくるものだ。表現というものも同じで、抑圧されていることが、その原動力、エネルギィになる。何不自由なく、全てのものが目に見え、聴こえ、感じることが出来たなら、生きていくことさえ困難だろう。

大阪での最後の日。大阪市立美術館の『国宝 三井寺展』に行く。場所は天王寺公園の中なので通天閣がよく見える。たまにみると、大げさなフォルムが面白い。それほど背は高くないのになかなかの存在感。周りの建物が高く無いからではあるけれど。建物が高くないので、空が広くて気持ちがいい。正確には、空はいつだって同じ広さだけれど、目に見える部分が大きいということ。
空もそうだけれど、目に見えるということは、それだけ大きさが限定されてしまうということだ、もし空が全く見えなくて、空の存在を知っていれば、空は限りなく広いだろう。それが、想像力というものだ。想像力とは、どこか抑圧されているからこそ、沸きあがってくるものだ。表現というものも同じで、抑圧されていることが、その原動力、エネルギィになる。何不自由なく、全てのものが目に見え、聴こえ、感じることが出来たなら、生きていくことさえ困難だろう。
