僕は子供の頃から、本を読むのが好きだった
でも、本だけが好きだった訳ではない
映画もアニメも好きだったし
(この辺は兄の影響だと思う)
父が剣道を教えていたので
剣道を習っていた
(好きと言うのとは少し違うかもしれない)
小学校の後期くらいには
スポーツ少年団でサッカーをしていた
エレクトーンを習ってもいた
(これは身につかなかったな)

今にして思えば、思いのほか色々していたな
と言う感じ

父は高等学校で働いている
地歴が専門だった
今は、校長なので授業はもっていない、と思う
地歴は、過去と事実の積み重ねの学問だ

そういう環境のおかげか
色々な出来事に対して

そう言う人もいるだろう
そう言う事もあるだろう

というように、出来事に対して驚いたりする事は、あまりない
よく、信じられない、あり得ないという言葉を聞くけれど
ほとんどの場合は、信じられるし、あり得る

あるのは、出来事に対する分析だけだ
どんなに突飛な出来事でも
重要なのはその前とその後だ

出来事は重要ではない

今、”科学的な捜査”というセンテンスを思いついたけれど
科学的って一体どこまでが科学的なのか
文学的捜査や哲学的捜査というのもあるのかな
大体捜査されるのは、科学的だと思う
例えば、聞き込みは科学的ではないの?
でも、おそらくはその後で科学的な捜査と言うのが行われるだろう
つまり下調べの様な物だ
科学的という言葉が大雑把に扱われすぎている様

今回は先にタイトルを書いた
だから、何に憧れている、と言う話なのだけれど
つまり、例えば理科少年みたいに呼ばれる子供時代だ

鉱石、ラジオ、天文、なんでもいいけれど
大雑把に科学知識に優れた少年と言うキャラクタ

だいたい、線が細くて人付き合いが下手(というか関心が無い)
そして、少しだけまだ詰めが甘い

僕の子供時代は、こんな風ではなかったので
(良く忘れ物をする子供だった)
このような、キャラクタが小説等で出てくるたびに
うらやましいと思うし、今だからこそ納得出来る

ちなみに、憧れって言葉を好意を持って多くの人は使うけれど
僕はネガティブな言葉だと思う
憧れているうちは、いつまでたっても近づけない
諦めとほとんど同じだ




11月22日

最近少し、低血圧と言うか貧血気味だった理由が
判明、というか勝手に納得

森博嗣『探偵伯爵と僕』  読了