私も一介のもののふとして論語でも学んでみようかと思い立ちまして、
珍しくこんな本を手にとっております。
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安岡正篤氏は最晩年に、あの細木和子と文字通り「やらかした。」、日本の超大物フィクサーの方ですけれども、
この本、まあおもしろいです。
「仁について」 。以下抜粋。
この間も遠慮のない母娘に遇いましたが、結婚の話が出て、お母さんは「何分家の娘は不器量で・・・・・・・」と言って盛んに歎くのです。然しどんな不器量な女でも、自分が不器量だと思っておる者はまずいない。どこかに必ず取り得を発見しておる。所謂自らを恃(たの)むところがある。
これは天地が人間に与えておる取り得、つまり仁である。
仁は果物で言えば種であり、胚です。だから、”自分は不器量だ”というのに合槌を打って、”そうですね”とでも言おうものなら大変なことになる。
・・・(中略)
「鬼も十八、蛇も二十(はたち)」と言うて、娘ならば、愛嬌がよいとか、何とか、と必ず何か美徳がある。それを褒めるのです。不器量だと言うので慰めるつもりで”どうしてどうしてお嬢さんは美人ですよ”などと褒めると、却って相手を辱めることになる。
これ、完全に私のことです。いつも満面の笑みで、慰めてしまってます。
じゃあどうすれば正解か。と続きます
だから私もその母娘に、”いやいや、女は器量よりも気立てですよ。気立てさえよければ、必ず人はよい感じを受けて、良縁がありますよ”といって慰めた。こういえば母娘も大いに救われる。これが仁というものです。
・・・ほんとに?と思ってしまうこともなくもないのですけれども、
なんせ昭和日本の超大物フィクサーがそうだと言い切っているんだし、実際論語に”子曰く、いやしくも仁に志せば、悪むこと無きなり”と孔子も言っているんで、たぶん、そうなのです。
と思ったら、
論語のおかげか、年のせいか、私もこの頃そういうことが言えるようになった。
と続いていたので、不肖の私なんぞはおそらくまだまだこれからです。がんばろう日本。
