橋本龍太郎首相はピピピピと、慣れた手つきで左脇にあるプッッシュホン電話を叩いた。
首相官邸、内閣総理大臣執務室。ちょっと前まで中庭から差し込んでいた夕日が急に光沢を失い、外はもう暗かった。
午後六時過ぎ。
足の低いテーブルの端に、中庭に背を向けるように首相は座っていた。その右に池田行彦外相、臼井日出男防衛庁長官、左の壁側にウォルター・モンデール駐日米大使、リチャード・マイヤーズ在日米軍司令官、ラスト・デミング米公使が座った。
隣に続く秘書官室近くの方に外務省、防衛庁の高官と秘書官たちが控えていた。
電話の相手は大田昌秀沖縄県知事だった。かすかに相手の声が漏れてくる。高官たちは聞き耳を立てた。
「普天間の返還を獲得しました。ただ、県内の基地移転です。受け入れてくれますか」
「喜んでいただけますか」
-----------『同盟漂流』(船橋洋一著/岩波書店) 冒頭
普天間基地移設問題はいまも揺れに揺れている。ただ、それはそれとして、米軍基地の整理・縮小という県民との約束を実行するため「代理署名」を拒否した大田昌秀沖縄県知事(当時)は、僕にとってヒーローなのだ。何故か? それは強大な力に屈することなく「やらなければならないこと」を為す勇気を示してくれたから。
いつかお会いしたいと思っていた。そして今日、待望のその日を迎えたのだ。
そーです! ツジウチ、現参議院議員の大田昌秀氏にインタビュー敢行!!
テーマは「沖縄戦で日本軍は『武士道』を見せたか?」。
尊敬する人物と一対一でお話しできる感激を味わいつつ、笑うしかないような酷い話を散っ々うかがって来た。心境はまぁビミョーといえばビミョーだけど、これも日本国憲法第9条の価値を見直すために必要なプロセス。
1945年8月15日以後にも日本兵により殺害された沖縄住民がいたと話には聞いていた。慶良間(けらま)の集団自決や久米島事件なんて、本当に戦慄を覚えるよ。いま多くの日本人が、こういった出来事を振り返らないと。本当に大変なことになっちまうよ……。
そんなことを思って、ご自身も1945年10月23日まで戦地にいたという大田議員にお会いしてきたのだ。明日は外交防衛委員会での質問(例の防衛施設庁問題に関して)があるということで、ご多忙な最中、お時間くださって誠にありがとうございます! 著書もいただいてしまって。
あ、サインもらえばよかった(違
いや、しかし、厳しいお方と聞いていたけど、すごく穏やかな口調で……。
いまからテープ起こしッス。
しもみち秘書の著書も、こ、これまた思いきり参考になりそう!
(しかしまた必読書が増えたZE~・笑)
終了時間おしてしまってスミマセン。
今後ともよろしくお願いいたしします。