PEACE IN THE STORM(嵐の中の静けさ) | アーサー・ホーランド公式ブログ

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『嵐の前の静けさを気にするよりも
 嵐の中の静けさを得よ。』


「嵐の前の静けさ」という言葉がある。
何か悪いことが起こる気配の時に
使われる言葉である。

人は不安に駆られ易い様である。
心配しなくてもいいことを心配し、
考えなくてもいいことを考えてしまう。
また思わなくてもいいことを思い、
言わなくてもいいことを言ってしまう。
然して遣らなくてもいいことを遣り、
招かなくてもいい問題を
招いてしまうのである。

人は好い事を切に望むわりには
好くないことを行い、
美しいものを慕い求めるわりには
醜いものに好奇心を抱くのである。

愛することを夢見るわりには
憎しみを養い育て、
安らぎを願うわりには
不安に浸ってしまうのである。

「わたしは良い事をしたいと切に願うのに、
 そうではない事に心奪われて、
 それを行ってしまう。
 大いなる方よ、
 こんなわたしを哀れんで下さい・・・」
と聖徒と言われたパウロは告白している。

人は誰であれ、みな不完全なのだ。
THE BIBLEは
「義人などいない。一人もいない。
 人は誰であれ、皆罪人なのだ」
と語っている。

罪とは「的外れ」を意味する。
最も大切なものを見失って
生きることをいうのである。

人生には嵐の様な問題が多々起きるものだ。
嵐の前の静けさを気にするよりも、
嵐の中の静けさを求めることだ。

「静まってわたしがあなたを愛して、
 赦している存在であることを知りなさい」
とバイブルは語っている。
罪深い我々を愛し赦してくれる存在がいる。

「たとえあなたの父、母、夫、妻、
 兄弟、姉妹、子があなたを捨てても、
 わたしは決して
 あなたを捨てたりはしない・・・」
と魂のロッカーJESUSは謳っている。

十字架は人間が罪人であることを
示すと共に、大いなる方の罪人を赦す
愛と恵みの印でもある。

不安になった時や、苦しみに悶える時・・・
また悩みの中で何がなんだか
分からなくなった時や
悲しくて何もかも嫌になって終った時・・・

そんな問題の嵐が吹きまくっている時に
十字架を思い見上げてみることだ。
台風の目の様に、JESUSはあなたを
不思議な安堵感で
満たしてくれるに違いない。

今日の一日がそんな安堵感を味わえる
一日であります様に・・・


『わたしはあなたに平安を与える。』
JESUS

アーサー・ホーランド
2013.10.16