AM I SATISFIED(満足とは・・・) | アーサー・ホーランド公式ブログ

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『限られたそのひととき。
 その間(ま)の中に
 あなたを満足させる永遠の答えがある。』


何かを誰かに遣ってもらうことは
有り難いことである。
然れど、それに慣れてしまうと
有り難さが薄れて行ってしまう・・・

何かを遣ってもらう事が当り前になると
依存することになり、
自分はそれで好いのかもしれないが、
相手方には負担となっていく・・・
よく聞く話であり、
誰にでも起こる事である。

「親しき仲にも礼儀あり」
という諺がある。
「人間」とは人の間と書くが
人と人との間に礼儀を重んじる姿勢が
生きて行く上で大事なのである。

この人と人の間の空間には
互いを人として尊敬(リスペクト)する
緊張感が必要不可欠なのである。

「緊張」とは堅苦しい、束縛される
消極的かつ否定的なものとして
捕らえるのではなく、
生きて行く上で大切なものとして
心得て行くものなのである。

それは「即かず離れず」という
微妙さを兼ね備えながら、
自然の営みの様に「なる様になる」という
人の力だけでは如何することも出来無い
運命の営みに身を委ねて行くことでもある。

喜びに悲しみ・・・
感動に虚しさ・・・
自然には季節がある様に、
人の心の中にも季節がある。

咲くことも散ることも
近づくことも離れることも
自分には如何にもならない
運命の営みなのである。

人は本来、自然と共存して
生き行く生きものである。
自然は人に生きて行く上で
大切な事を教えてくれる。

自然と向き合ってきた
尊敬すべき先人たちは皆、
自然に対してその緊張感から来る
畏敬の念を覚えた人たちなのである。

自然への畏敬の念は
自分に対してもまた人との関係に於いても
良い影響を及ぼして来たと言える。

自然をいとおしむ想いは、
自分をまた人をいとおしむ想いとなり、
自然を大切にする思いが
自分をまた人をも大切にする
思いとなるのである。

そんな畏敬の念をもたらす
緊張感を失わないことだ。
自分にいいからと言って
人にもいいとは限らないことを知ることだ。

「緊張感があるが故に
 心地好さが生まれる。
 あなたとわたしという間(あいだ)に
 間(ま)があるが故に
 いとおしい愛の花が咲く」のである。

よい緊張感は優しい謙虚な思いを
芽生えさせてくれる。
「ひとりになる能力は
 愛する能力の前提である」
とエーリッヒ・フロムは述べている。

偶には人との間(あいだ)に間(ま)をつくって
一人になってみることだ。
自然と向き合ってみるといい。
それが出来無ければ、
道端に咲く花や植木の花を
見詰めるだけでもいい。

きっとその美しさとあなたとの間にある
緊張感が言い様のない心地好い満足感を
与えてくれるに違いない・・・

今日という日があなたにとって
そんないとおしさが心に芽生える
一日であります様に・・・


『満足は人から貰うのではなく、
 自分が見つけるものである。』

アーサー・ホーランド
2013.10.6