GIVE LOVE(与えること・・・) | アーサー・ホーランド公式ブログ

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『愛は奪うものではなく、捧げるもの。
 また貰うものではなく、与えるもの。
 愛は自分の身をけずって
 人を生かすもの・・・』


「天には星。地には花。
 人には愛が不可欠です」
とゲーテは述べている。
また、
「社会にとって必要なのは
 愛することまた愛されることだ」
と世界の心理学者は
声を一つにして訴えている。

「愛」なんかいらないと言う人は
この世にはいないだろう。
人にとって空気が必要である様に
愛も生きて行くためには
なくてはならないものなのである。

然れど愛という言葉ほど
人を傷つけて来た言葉は
ないのかもしれない。

「愛」は誰もが憧れまた求める故、
その高尚な美しい宝石を
偽物に摩り替える人々も
現実には存在するのである。

今は「愛」という言葉が
ひとり歩きしている時代でもある。
人それぞれによって「愛」の定義は
自分の都合のいい解釈に
置き換えられて終っている。
要するに愛ではないものを
愛にしてしまったとも言える。

「人生、最後に残るものは、
 集めたものではなく与えたものである」
とジェラルド・シャンドリーは語っている。
どれだけの愛を人々から集めたのかではなく
どれだけの愛を人々に与えたのかが
最後に残るというのである。

愛はその与えた本人がこの世を去っても、
残るものなのである。
「合の子(混血児)」と言われて
差別された俺に
「合の子というのはなあ・・・
 愛されている子という意味や」
と祖母が言ってくれた言葉は、
彼女が亡くなって30年近くもなるが、
今も心の中に鮮明に残っている。

与えられた尊い愛は
心の中に奥深く残るものなのである。
草は、枯れ花は、萎む。
然れど与えられた愛は
朽ち果てることなく魂に生きて、
活力を与えてくれるのである。

明治の文学者二葉亭四迷は、
日本に初めてLOVE(愛)という言葉が
入って来た時に、
「あなたのためなら
 わたしは命を捨ててもいい」
と訳したと言われている。

「JESUSが友(あなた)のために
 いのちを捨てるという、
 これよりも大きな愛は
 誰も持っていない」
とバイブルにもある。

大いなる存在は十字架のJESUSを通して
我々一人一人に大いなる愛を
与えてくれている。

我々が今味わっている愛は
小さくて、狭苦しく、浅くてまた低い
愛なのかもしれない。

然かしJESUSは大きくて、
広々とした自由で、深くて
また高い永遠の愛を十字架の上で
現してくれたのである。

星の王子様で知られている
A・デ・サンテグジュペリは
「愛は互いの顔を見合うことではなく、
 同じ方向を見詰めることだ」
と述べている。

大いなる愛のしるしと言われる十字架に
心を向けてみてはどうだろう。
屹度、今迄に味わったことがない
感動を味わうだろう・・・


『間違いないことは、
 あなたは愛されている
 ということである。』

アーサー・ホーランド
2013.10.4

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